本文含めて2箇所ほど勘違いされる可能性があるので、少し補足しておこうと思います。
記事はそのまま以下ね
https://kagewari.seesaa.net/article/498081523.html
冒頭部分の以下は、本文で末尾あたりに解説しようとして忘れちゃっていたので続けてみると、
ココです
↓
■社会心理的には「完全な嘘です」
当事者的には「その感覚がない」可能性はありますが、うーんどうだろと、
「その感覚が無い」ってどういう意味かって、当人が今でもイジメでは無く正義の鉄槌だと思っている可能性に言及したものです(あれは正しい行いでイジメでは無いとか)。
流石にそこまでトンデモ級に悪質とか無いでしょうと思う方いるかもですが、
いえいえどうしてそんなことありません、『共同幻想』社会ってのはスポーツで言えば相手個人が誰とかでは無くて”敵チーム”というだけで、頭部付近にボール投げて大怪我寸前の危険なプレーすら「でかしたよくやった」となるんですから(そういう集団心理になるのであり)、
根拠があろうがなかろうが、個人を特定する何らかの理由がレッテル張りされた場合、積極的な構成員ほど「イジメ行為に参加しているよいうより、やるべき制裁」と本気で思っていたりするものです。
集団心理と切っても切れない関係となる『共同幻想』適応人格にそういう怖いところがあるのは事実(そもそも個人的意見は”小異”として「抑圧」切り捨てられてますから、個人的にいい人だなど集団心理に対する適応局面では無関係になります)。
もういっこは加筆部分のココですね
↓
”適応者”にだって多く平和主義者もいるだろうしイジメみたいな事を嫌うものもいます。
彼らがどうやってそれを阻止するのかと言えば「イジメ事案自体を発生させない」のです。
どうやってって?→”仲間に勧誘して”(極端に言えば「布教活動によって」)仲間の一員に同調適応させることでこれを回避しようとする。
あたかもこの行為が”いい人もいるよ”みたいな説明と勘違いされている方いるかもですが、
「異教徒がいるぞー」な事案で、「あなたも入信しなさい」って新興宗教に勧誘されている状況と同じですので(そもそもその組織に加入したいのかって当人の意思はどこへやら)、単純に転校生で上手に方言が使えない程度の異端であれば(人格的にはもとより”適応系”など)ハッピーエンドになるかもしれませんが、「いやいや、この個性化の現代社会でオマエラは何を群れてるんだ」って個人の場合、妙な勧誘はイジメに匹敵する迷惑行為になりますので(日曜日の昼にどこぞの宗教が玄関でピンポンするのと同じ)、ケースバイケースという表現も随分ひいき目かなと思いますが、全体の文脈として「”適応者にもいい人がいる”みたいな意図ではありません」(仮に勧誘したって”下っ端から”ですし)。
■まとめってほどでもありませんが、現代では『共同幻想』適応者は”少数派”であり、
一部”崩れ適応”の形で、地方のDQNなどに細々と残存している一派です。
(ただアホな文科省みたいな組織が、クラス運営《階級運営》なんてことをいまだに継続するものだから《これ「ひとまず全員野球部な」みたいなやり方のことです》、集団心理で声のデカイ適応系が幅を利かせるって状況が全国各所に残り続けることに貢献しているような話で、、)
社会は「働き方改革」含め、旧来の『共同幻想』適応的慣習を「それはハラスメントだから」と、法的にも規制する方向にあり(イジメなんてハラスメントどころか刑事事件でしょ《トンデモ級の人権侵害だもの》)、取り締まれってのも極端ですが、違法だからってコンセンサスが形成されていくことで(”再選択者”を例外に適応人格そのものが)消えていく話です。
※集団の形成・組織的活動が無ければ構造的にイジメは不可能
(常に1対1の局面しか起こらないからです)
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