まず『反抗期』の契機となる機能獲得時に(新しいことを始めるにも)機能獲得以前時代の「不安」を払拭しなければなりません。この前の『反抗期』解説原稿における「自転車の補助輪外してもいい?」であるとか、水泳教室における「人は裸で横向いていれば普通は浮くから」ってのにしても、極端に言えば”賭け”の要素が含まれるので(リスクを伴う)自主性や主体性には『勇気』って言葉がセットになってきます(勿論それは”蛮勇”では無く論理的根拠を持ったものという意味だが)。
また(この件は何度説明してもわからない人いると思うんですが)
「世話好き」って人いるじゃないですか(昭和の母親属性心理じゃないけど)
「ダメダメ危ないから」言う側の関心事項です(前者の逆)
「寒いんだから上着着て、午後6時は深夜だから早く帰ってきなさい、咳した今咳したからすぐうがいいってきて、少しでもほつれたら直すからすぐ脱ぎなさい、、、、」→「まだ補助輪付けときなさい」
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わかります、この世話焼きさんは「不安」がその”快感代謝”ネタであり関心事項です
(わかりやすくいえばその人の日常性のエンタメである)
言えば不快『興奮』による快感代謝の一種です。
●勇気をもって(=自己責任を担保して)リスクを取るってのは、それだけの話ではない。
これまで日常を構成していた不快『興奮』代謝によるエンタメ(乱暴に言えば”メンタルにおける食い扶持”だよ)を捨てることも意味します。
当然、勇気をもって(=自己責任を担保して)リスクを取るってのは未経験のことですから「(何の保証も無く)想像を超える何かを求めて」の行為になりますね(論理的根拠や推論はあるにしても”賭け”であるとか”冒険”だとか)、
これ予想つかない未来だから個性なんだと思うんですよ。
(先が予め見えていたら台本ありきの演技みたいなものじゃん)
”適応”系人格では構造的に不可能なことであり、
あー、そういえば未来の定義って?→「予想もつかない未確定な先のこと」でしょ、
「想像をこえるとか、予想もつかない」=”現実”に適応してるじゃん。
それに対して「予定的である”適応”系人格」ってのは=”現実から乖離している”んです(彼らにとっての現実とは予定調和の『共同幻想』という名の”幻想”のことですから)。
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