ド・文系が物理を苦手なのはわかる、
しかし理系コンプレックス拗らせて、理系の追い求めてるアプローチを「それは分析的理解」に過ぎず限界があるとか、保守系評論家などが話を単純化して『フランス革命』における全体主義的理性論とごっちゃにして批判するのは”間違い”だから。
※フロイト系からも追加で言わせてもらうが「理系のアプローチを分析的理解だと単純間する理解も間違ってるよ」
構造論を持ち出したのがフロイトであり、この構造論は保守派や文芸評論家の言う”文脈”とやらと同じものだよ(文脈を構成しているのは”文法”だろ?:これは構造だぜ)。
また「フリーJAZZのジレンマ」はとっくのとんまに踏破しており現代前衛芸術にガッカリみたいなことを針小棒大に言うのもどうかと思う(少なくとも音楽の世界は60年代にそこ脱してますから、、60年代にだぞ?)。
元祖全体主義である「ルターの宗教改革」や『フランス革命』時における理性論ってのは、これそのまんま(後の共産主義)キリスト教『共同幻想』と対峙する上で(その教会権力を打倒するため)、「1VS1で釣り合うように想定されたドグマ」であってさ(これ、明治維新の時に政府が一神教西欧列強と戦うために天皇を神格化したのと同じ論法で)その時は政治闘争上そうだった程度のもので、『フランス革命』時にも「神VS理性」みたいなフレームは「ダメだこりゃ」な落ちが付いており(直後にナポレオン万歳、帝国万歳になってるんだから)、
なんかその落ちを理解できずに共産主義までいっちゃってるのを過大視し過ぎ。
(この人達は単にどうかしちゃってるカルトな人達だったに過ぎない)
《左翼の話は横に置いて置いていんだわ”アレな人枠”で》
■以前、科学は神の論証までやらないと『宗教』に勝てないって記事書いたけど、
宇宙の謎を解き明かすって挑戦は。予め人類には頂点たるべき理性があるなんて設定になってないし(真逆じゃん「わからない」を前提にしてるから挑戦なんだから)、物理学などを武器に前人未到のアイガー北壁に挑戦するみたいなマインドでしょ。
目標は同じで、「どのルートから攻めるか」みたいな研究が各大学で進んでいる。
「そこには理性絶対主義なんか無いです」。余裕でオカルトチックな形而上学みたいなことなってます。
一部には「数学得意だから理系に向いてるとは言えない」なんて話もあるってんだから、
一時期理系の人を(スポック博士か何かのように)「計算高い」などと揶揄していたけど、実像はまるで違うってことです(存外にロマンチストだみたいに)。
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■しかもさここ『実存主義』の不条理がバリバリかかってる
宇宙は光速を超える速度で膨張してるのに、理系のあれこれ思考は「ブラックホールにさえ辿り着けない(情報は光速を超えることができないため)「事象の地平面」に留まる論議だぜ」
絶対証明不可能な事が最初からわかりきってる命題に挑戦するのだから、
不条理における実存そのままじゃん。
※言うまでもないが、
俺はド・文系なので記事中に登場する理系の話に誤りがあってもあれこれ突っ込まないでおくれ(異論は「アーアー聞こえない」とするw)