文壇や評論なんて世界になるとちょ〜っと軽率かなと思う。
何故なら理系で自然科学や宇宙の研究している人などよくわかってくれると思うけど、
「え?自己の実存に関わる話で人間関係ガーとかあなたもなっちゃうの」って、
我々現時刻生命のあるもの大きいところは鯨から小さいところはウイルスまでかな、この人達にも実存論はあるのであって(無機物であってもガイヤ思想だとか富士山信仰まである)、
そんなにやたらニンゲンを特別視するのは「自己愛入ってないか?」
里山保護活動で有名だったC・W・ニコルにしたって彼が向き合ったのは大自然であってさ、”僕は人間関係ガー”とかじゃなかったと思うんだよね(別にC・W・ニコルが好きなワケでは無いけどw)
本田宗一郎にしたって、彼が向き合ったのはエンジンでしょ。←それとも何かい?寝ても醒めてもエンジンの設計と実験に明け暮れる研究者は対人実存感が無くて寂しい人なの?、、、んなワケ無いだろ、、、近代のマタギだってさ狩りに出たら数週間帰らないとかもあったんじゃないかしら?「この人銃を片手に山に入る可哀そうな人とかなっちゃうのかしら?」、、、んなワケ無いだろ、、、
文壇や哲学界特有の情緒主義ってのかな、、(物理や数学苦手なコンプレックス拗らせたのかなとか思っちゃうけど)「いやいや、人との関りにも得るものあるかもしれないが、そこだけ絶対とかでは無いだろ」、自己の実存を語る上でそういう人もいるだろうねって範囲を超えるものでは無い。
ネコ飼いは(羊飼いのイントネーションで)人間よりネコ
イヌ飼いは(羊飼いのイントネーションで)人間よりイヌ
馬飼いは(羊飼いのイントネーションで)人間より馬
牛飼いは(羊飼いのイントネーションで)人間より牛
そもそもアブラハムの宗教では(イエスは羊飼いじゃネーけど)人間が羊扱いだろw
↑
そういうこともあるだろ、
※過去記事のここにも被るんだわ
「適当でいい加減な形而上学」→魂なんたら話の矛盾
https://kagewari.seesaa.net/article/495269196.html
俺の飼ってたネコの行く天国は別の場所なのかね?
(最近は災害時の避難の時にも「ペットはどうする」って真顔の論議なんだが)
あれれ、するって=と時々挨拶する野良の行く場所は?
はたまたワイルドなイリオモテの山猫達は?
(どういうんかな、保守系に限らず『宗教系』も仏教の一部解釈を例外にいい加減というか自己愛満載なところがあってさ《近代の欧州では動物異端審問裁判なんてやってたくせに》、人類ヒト科に象徴される”僕”はそんなに特別なんかい?
「今日版ご飯に食べたチキンの死後の世界はどっちだ」《チキンはどうか知らんが酪農畜産における牛には明快に自我の萌芽があるぜ》←動物保護の連中はここどういう宗教的解釈になってるのかね)
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