2022年11月29日

リクエスト関連(どこ行ってもなじめないオタクさん「偽装するなら違いますよ」)

念のため、補足記事は読みましたよね?
https://kagewari.seesaa.net/article/494167880.html

どこ行ってもなじめないオタクさん 「公の概念が優先するんです」
>どちらかが極端に譲ってばかりの関係は友人ではないですよね。一方的に譲ってばかりで助けてもらえない人や「お前の肉をよこせ」と取られるような人って合いの手や狩りが下手とかその場の状況や人の動きが読めてない人が多いと感じます。絶妙にその場の空気や人の気持ちを読んで動ける人は過剰に搾取されたりしてないし、一方的に譲るではなくお互いに助け合う関係が成立してます。もちろん譲り合いは人付き合いでは必要だし、全く相手に譲ることもせずに自分の主張ばかりしても良いと言ってるわけではなないのであしからず。

■あなたの言っているのは『共同幻想』論では無く、
「ギブアンドテイク(give and take)」言えば直接交渉のことです(友情ではありません)。
※大事なことですが、偽装の前提は(ITベンチャーなどの)個人間で交渉の効く(話が通じる)「歩留り」社会ではありません。
(彼らが偽装し傍観するため、旧来の『共同幻想』社会が現役のブラック社会です《典型例ではありませんが、現代の権威との繋がりが切れた”崩れ”『共同幻想』社会の極端な例は「暴走族」です》)もう少しわかりやすく言えば、
『単独者』落合監督により体育会の慣習が解除される前の、星野ドラゴンズです(現代なら完全なコンプライアンス上、違法である)。
星野監督が絶対の権威であり、選手個々人同士の交渉で社会性に及ぶ取引が可能ですか?

なぜ個人間の愛情では無く、友情という抽象概念が使われて言葉の意味が通じているのでしょう。
(個人名情では無いの意です。山田情とか木村情では無く、個人名を特定しない「友人」という抽象概念が使用され、言葉の意味を形成してますね。)
 ↓
それはこの概念(友情)が組織・社会全体を束ねる”公的概念にリンクしているから”です。
(友情とは誰かの私的アイデアのことでは無い)


■戦時中によく使用された言葉に『滅私奉公』というのがあります。
(私が、自分を捨てなければならないと言ったのは根拠の無い話ではありません。例えば特攻隊出撃前に個々人間の交渉で《give and take》、出撃順を変えるなんてことする人が友情あふれる人物と賞賛されることはありませんね?)
何も極端な話をしているのではありません、
戦後日本社会の保守系というかワイルドな社会に「予科練崩れ」というのがあります。
昭和日本国中に広がった暴走族は特攻服着てましたね(完全に関連するとは言い切れませんが、少なくとも神奈川県あたりの暴走族には、横浜の米軍ヤンキー共を繁華街で牽制しようって関連があった)、少なからず市井の末端『共同幻想』のモデルに先輩から引き継いできた慣習というものがあります(末端の不良個人に『共同幻想』のシステム構築する天才がいたとは考えにくい)。

それをモデルに、その系譜の中で、それらを模倣し、参考に、継承し、
現代日本の『共同幻想』崩れ社会というのは現存しており、実は個性派「歩留り」のが多数派になっているにも関わらず、偽装するものだから(内部告発はしますけどね)連綿と末端社会で残っているんです(一般企業においてはコンプライアンス上、違法なんですが)。
※DQNを嫌う、アンチ『共同幻想』2chは彼らを「珍走団」と呼んで揶揄した

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posted by kagewari at 14:41 | TrackBack(0) | リクエスト関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【”盛られる”欲求】(「反動形成」のような係数倍では無いが)

「5千万のマンションなんて本当に必要なの?(30年以上もローン組んで)」
 ↑
わかりやすい例だと、この話です。
エスタブリッシュメントにとっての理想の消費者【悪く言えば奴隷消費者】
大手マスコミのコロナ危機煽りに乗ってしまう心理も同じです、
(マスク警察とか:プロパガンダに対する”ノリが良すぎ”)

■平たく言えば『共同幻想』固有の強迫性です、
「あれ?そんなこと言えば、自称”健常者”の『共同幻想』社会適応者は強迫神経症ってことになってしまいませんか?」←【そうですよ】

本来100人いれば100人違う個性を「抑圧」して、
意図して”何らかのモデル人格に適応させる”のですから(言葉変えれば準洗脳です)、
自動的に「抑圧あるところ強迫アリ」←説明不要と、
但し(この辺は岸田心理学ですが)、
周囲の多くが同じ強迫性を共有している場合、それは社会的に『常識』と呼ばれます。
更に、自我構造でも(エピソード記憶の集合体とも言うべき)上部構造にこれが格納されていれば(フロイト的には”超自我”:道徳野ですよ)、「自分を律する上位権威(善きこと)」ってことなので、滅多に人格は破綻しません。←しかし弱点があります【少数派に転じた場合】です(『新興宗教』に社会適応してる人は全員この弱点《不安》を抱える→だから猛烈に布教活動がしたくなる)。

●つまり時代が穏やかに流れていて、文化伝統というアンカーがしっかり機能している保守系社会が300年も続きますよって時には『共同幻想』適応系人格の強迫性も”民族性”なんて言われますから、殊更その強迫性が問題視されることはありません【少数派に転じることが当面無いため】。

■で、戦後から現代にかけて発生したことってのは、
急速な時代の変化(親子世代でも世代間対立が発生し《同時代が50年ともたない》)、文明の進歩、社会福祉の充実による高学歴化(権威性認知を教えられるのでは無く、各人”自分の考え”として会得し改変していく)、『共同幻想』崩壊時代の到来です。
旧世代の社会適応者人格が、次の世代から見ると「単なる強迫神経症に見える」社会現象です。
(※大事なことなので繰り返しますが、”適応人格”が構造的に強迫系であるのは心理学的には「最初からそのとおり」)
●敗戦時などは、それ以前の権威者が突如全員「悪の軍国主義者」となり、
それ以前の「反戦売国奴が、善の平和主義者」に急転直下で変貌した。
(※主にメディアと、保守系教授がGHQに公職追放された大学において)
戦後アプレゲールから見れば戦前の軍国主義者は半ばキ〇ガイ扱いとなります。
しかし、東京裁判の戦犯達が後に国会決議”全会一致”で全員名誉回復したのは「サイレントマジョリティーがどこにあったのか」を示唆していて、ある意味戦後なんてものは『共同幻想』の正統性をめぐる覇権争いが展開していたようなものです。

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posted by kagewari at 07:37 | TrackBack(0) | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

リクエスト関連(どこ行ってもなじめないオタクさんは「極端な」言うと思うんですが)


■話を分かりやすくするため返信ではそう表現してますが
『共同幻想』の原型は人類が食えない時代の共同体のことです(ですから先進国のように豊かになると・或いは近代のように豊かになろうとすると、革命が起きたり自然崩壊していく)。
その趣旨は(人がバタバタ死に庶民に学問も無い時代ですから《自ずと自分の考えなどという高尚なものは上位階級にしかなく》)「自分の命がいつまであるのかわからない時代」であり、
 ↓
●考えを同じくする仲間の誰かが生き残ることが、自分の生と違いの無い時代です

友情や、家族愛とかそういうものの基本は「譲り合い」であり、
(100人いれば100人利害違いますから、友情の成立には誰かが譲らないと成立しません)
そういう群れの”誰にとってもいい奴”とは自ら進んで譲る奴です(そうすれば譲り合える回数を自分の力だけで増やすことができますね)


 「ハイ、お母さんの分ね、まだ2個あるよ」
「大丈夫お母さんさっき食べてお腹一杯だから全部お食べ(嘘、腹ペコ)」
 「兄ちゃん、グローブありがとう、」
「なーに気にするな、思ったより給料多かったからな余裕だ(嘘、財布は空)」
 「〇子さ、やーっと〇〇が買えたよ、いいでしょうww」
「そうね、とってもよく似合っていることよ(真っ赤な嘘)」
 「今日さ、〇〇行こうよきっと〇〇が○○になってるから」
「いいね、”ちょうど暇(大嘘)”だったところだ」
 「〇〇君もさ、真面目なのはわかるけどここをもう少し」
「はい、わかりましたスイマセン(納得いかない嘘)」
 「京アニの放火事件ってさ、〇〇だよね」
「あーそうかも、そういうとこあるかもしれないね(少し嘘)」

●仮に前回の私の説明を「随分極端だ、そんなことしなくてもいい、見た感じ彼らもそんなことまでしているように思わない」のだとしたら、
(そらそうです、嘘がバレたら雰囲気悪くなる、前述の嘘は全てバレてはいけないのです)
あなたにとっての友人とは、
「私は自分の意見言うけど(彼ら全員と利害対立、嘘までついて譲る気は無い)」
「友達でいてくれる人(私に合わせてくれる人)」となります【これは友情では無く依存です(どこぞの心理学者が「甘えの構造」と呼んだもの)】
=(相手側は組織的に意見を合わせる文化持ってますから)周囲全体に「私に合わせて」と言っていることになります(で、どちらが守るべき集落ですか?)

この瞬間”決”は出ます→「全員があなたを嫌いになる」
(冒頭の話「”誰にとってもいい奴”とは自ら進んで譲る奴」の反対になるからです)

小学校の算数でもわかる話です。


■そして先進国になり社会全体が豊かになった、高学歴になり各人偉そうな自分の意見もある
その個性化の時代で、「歩留り」適応の嘘は(自分の意見は個性化でことごとく違うのだから)、ある意味幅も大きくなり、少々無理をしなければなりません(自動的に交友関係のウザさが拡大しますね)。
しかも寿命も延びて、自分の命など僅かだから誰かに託せればいいという時代でも無い。
(自分の道は自分の力で極めろって時代に変わってます)
「友人だか?と遊び呆けている暇があなたにあるの?」←こちらに時代はシフトした

時代の転換点である現代の「歩留り」達は、まだ答えを見いだせないまま、
とにかく時間稼ぎ(非婚・晩婚世代)をしているところです。




posted by kagewari at 06:15 | TrackBack(0) | リクエスト関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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