ここの答えになるといんだけどね、
■哲学やってる人から言えば大いに異論あると思うけど、
「『宗教』とは、神がいたら何を言うだろうかというテーマの形而上学」でしょ。
(或いは思考実験)
うんで勿論これ”パスカルの賭け”にも被るけど、
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このテーマをだ、働きもせず(ここ驚くことじゃない大学の研究者だって生産活動はしていない)、”家幻想”を捨て(聖人のみなさんほぼ全員”出家”だから)、
当時最も頭良さそうな連中が、(なんせ古代アカデミズムの頂点は『宗教』だから)修行含めたありとあらゆるアプローチから命がけで考えたもの。
※もっとわかりやすく言えばアインシュタインが生涯をかけて「神がいたら何を言うだろうか」という命題を考え続けたみたいな話だ。
●このテーマにおける重要な背景は
「現実世界の外(上部構造)から俯瞰で現実世界を観察し批判や警告やら訓示や罰を下す」という設定で、研究者の視点が(自分をその状況にシミュレーションするのだから)必ず極第三者アウトサイダーになっているというところだろうか。
古代宗教に洪水伝説や超兵器に薙ぎ払われたり化け物が登場するのは、そのまんま当時人知を超える現象が自然災害や強力な捕食獣の脅威にさらされていたからってことかと思う。
(ひょっとするとだが、『宗教』的視点ってさこの俯瞰思考のことなんかもしれない)
現世を相対化しているというのかな(諸行無常史観)、
超越者の視点が”超越過ぎる”ので、見下ろしてる現実世界がゴニョゴニョ発展していようが貧しかろうがどうでもいいのであり(間違っても平均寿命などには関心が無い)、所詮「現場で何かどうでもいい展開(科学の進歩や経済成長など)があるけれど」のように、現世の現象面にはどうでもいいを超える意味は無い。
(だから『宗教』では全財産寄付しないと天国行けませんとかが”あるある”設定なんだわ《例の某新興宗教教義のネタ元はそのまんまキリスト教だから:ユグノー戦争なんて私有財産をめぐる戦いと見ることもできるしさ:そんなプロテスタントの王国アメリカですら資産家は慈善活動しないと罪悪感で生きていけない》)。
※年代的に割と新しいイスラム教は公衆衛生など現世利益的な教義あるけどね(解釈としては割とイスラム教の本質は”世俗的”なんだと思うんですよ)
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この辺の意味がピンとこない人いる?
も少し補足すると、
思考実験そのものが「現世の外、上部構造から俯瞰で見下ろして何を思う」でしょ?
本質がま〜言えば(天国か地獄か知らないが)”あの世目線の学問が『宗教』だから”
=【現世で起きている商売がどうしただの、、】←ほらね、どうでもいいことになるじゃん
極論生きていることすらどうでもいんだわ→それ踏まえて、本番は”あの世に帰ってどうなんの”って学問なんだものさ。
(だから、どやっても元々『宗教』はどんな伝統系でもトンデモなとこがあるのも事実、、)
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