案外そうではないのです、
ナントカ詐欺に騙されかけた高齢者から直接聞いた話ですが、
「自分が先を見抜けなかった屈辱で軽い鬱になったほどだ」とのこと。
●つまり大人の要件として「簡単に嘘や詐欺には騙されないスキルの保有」が矜持のひとつになっているってことね(私なら見抜ける的に)。
もう一段ランクを下げてみよう(詐欺じゃハードルが高すぎる《相手もプロだからね》)
「嘘にひっかかってしまった」←これどういう時使う言葉?
”うっかり”ですよね、
背理は?→『自意識』全開モードであればひっかかることなど無いという自負ですね
●曰く、大人社会では「よっぽど上手じゃないと嘘は通用しない」ってのが常識です。
(まあタンカ切るほど見破れるかは保証の限りではないけどさ《そういう心意気ってことさね》)
だとするなら、
「あたかも事実として通用する嘘」ってのは高度なテクニックを必要とすることになりますね。
(思うにそれは『自意識』マター全開の集中力を必要とするのだと思う)
何故なら、創作物である映画やドラマや漫画や小説から、フィクションなんですから”ネタは嘘です”、この嘘話(フィクション)に、リアリティーを担保することでエンタメは成立します。
現実味の偽装に失敗すれば、ただの「嘘くさい話でつまらない」のです。
※つまり、「事実として通用する嘘をつくには、映画監督や小説家張りの能力が必要である」
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これを表す格言が?→「下手な嘘はつくもんじゃない(速攻バレるから)」
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■心理学の知見があるってことは、そこで語られる内容の(当人も自覚できていない)背景設定や欲求されている対象やその意味(それは投影か?二次的利得かなどなど)、そこを分析してナンボなので、「嘘も大事な証言になる」とでも言えばいいでしょうか。
勿論この場合、当人もそれが事実と異なる話になっていることに自覚が無い場合もあります。
しかし「=どうなります?『自意識』マターは出張ってない=下手な嘘レベル」になりますね?
心理学なんかやっていると、それが嘘だろうか無意識だろうか無自覚だろうと、驚かないと言うか「当事者本人が自覚できない(わかっていない)話を分析してネタバレできてナンボなので」、
素で語ったものでも、意図して嘘をついたものでも、無意識に嘘になってしまった無自覚な会話でも、別にどれでもいんです(そこに大きな違いはありません《むしろ嘘の方が努力の足跡が残るかなと》)。
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タグ:強迫心理