個々人の人権無視してでも共同体の存亡を重視するために設計されており、
(なので経済的に豊かになり先進国となって以降は必要が無くなるんですが)
「いかに全体が生き残るか」その一点に集中しているのが『共同幻想』で、
それだけではありません。
封建社会から近代までは”戦乱の時代”であり、
中途半端な『共同幻想』社会は滅ぼされるため、バトルプルーフされた強度の高い『共同幻想』社会のみが生き残り、たとえるなら軍国主義的なことが正義であった。
50年代の米国の繁栄がアンチテーゼのようなとこありますが、
これは地政学的に「安全なとこにいたから」であり、
且つ、英国独立・フランス・スペイン・代理戦争のメキシコ・南北戦争内戦と、そこに至る以前は戦争に明け暮れていたのであり(江戸300年の前に戦国時代がったようなものです)、
『共同幻想』社会とは生存のため戦う集団であると表現しても間違いではありません。
経済学的には至極簡単な話で、
限られた繁栄を奪いあう過当競争から、先進国に至るほどの高度成長を経た状況はファンダメンタルの比較にもならない話で、「土地を奪い合うのではなくて、生産そのものを捨てるほど成長させればいんじゃない?」って転換です。
●「平和と経済成長は等価である」(経済成長の無い平和など無い)
→「経済的破綻を目論むものは戦争(や全体主義の復活)を期待している」
ですから現代の若者達が、
現代社会にも残存する『共同幻想』系慣習を「ブラック」と位置付けるのも当たり前で、
欧州キ印のフェミにスト過激派が「男性は死ね」とかやってますがw
発端となる着想は理解できます。
行き過ぎた論議のひとつに、大女優カトリーヌ・ドヌーブさん炎上騒ぎがありますが、
(男性が女性を食事に誘う行為はそれだけでセクハラであると論じるフェミに「それかどうか」と発言したカトリーヌさんのSNSが大炎上し謝罪に追い込まれた事件)
ファミニスト大激怒心理の背景には事情があるんです(彼らはそこ自分で説明できないから、、)
↑
奴ら(過激欧州フェミ)が何にカチンときたのかと言えば、
■『共同幻想』社会における暗黙のゲームの論理「仲間同士は全員OKルール」(告白された側が断る時に「ゴメンナサイ」と謝罪しないといけない《キモチワルイ恋愛リアリティーショー》=基本ルールは《同じ社会の仲間の告白は》OKの筈が前提となっている)、ここを勝手な思い込みで(『共同幻想』崩壊後も同ルールがバリバリ有効とノリノリで)「今日食事にどう?(僕と性交オッケーイ?:断る場合君が謝罪するんだぜ)」と声をかける行為は、「そういうルールとか現代にはもうネーから主義者」にとってはガチのセクハラとなるためです。
※しかもそこに”同調圧力”かかっているという、、
※奴らが感じ取ってる不快はこの社会の論理のギャップというか、現代と『共同幻想』残滓(ブラック社会)との関係性の論議で、個別に「食事の話では無い」んですわ。
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