2022年08月05日

『単独者』の雑感「自我の謎、それは言葉なのだろうか」(1)

※カテゴリ「『単独者』の雑感」は「中立過ぎもどうか」と意図的に『単独者』視点で語る時事ネタなので、心理学の興味だけでブログを閲覧している方はスルーで。
(仰々しいものでも無いので「『自営業』の雑感」ぐらいの意味で読んでくれ、、)


■今回の話は極めて実験的なもので書いてて当人もあまり自信がありません
試論というか、現段階での論考的なものだとご理解ください
(それが心理学的何かであるのかも”わかりません”)

自我が言葉で構成されているのは”ほぼ間違いない”
人の記憶は言葉を話せるようになってからのが大半だからだ。
自立的汎用AIが完成するのだとしたら、それは「あらゆる方角に論理的帰結(数学的記号や言葉による”ナントカ”)を求め続ける思考」みたいな代物になるだろう。

さて、この世には「話したから楽になった」だとか?
「ずーっと黙って聞いていたので疲れた」だとか?
「外国にいって寂しい誰とも話していない」だとか?
世界のエンタメで言語がまったく関係無いのは(音楽も言語の一種でしょ)、、、
無いのじゃないかな、、、
(スポーツでも「よっしゃーだとかナイスプレイうっかり言いますよね」、登山でも「ヤッホー」言うとるやん)自然を見て” 美 し い ”と感じるのも(もう声に出てます)

●言葉の芸術に落語ってありますが、
語りだけで映画一本分の情報を聴衆の脳内に展開させる。
(ある意味、自然を見てから”美しい”の概念が再生→”美しい”から連想イメージを逆再生も可能)
(古代では、当時珍しく生き残った高齢者が語る神話に子供達は釘付けになったでしょう)

だとすると、「論理的情報から完全にシャットアウトされると自我は発狂するのか?」に行きつきますね
(実際は”想像はどんな時でも自由”なので不可能なんだけど《個人差ありますでしょ》)
これが懲罰房とも言われる独房監禁ですよね。
(確か複数の監禁洗脳やカルト団体がマインドコントロールなど行うプロセスにこれ入れてる)

その反対は?→「現代情報化社会(双方向である場合それが実会話である必要性はあるのか)」

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posted by kagewari at 13:06 | TrackBack(0) | 『単独者』の雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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