2022年08月02日

リクエスト関連(あかりんさん「ですからね、結局何が言いたいのかしら?」)

あかりんさん(意味が分からないんだが)
>皆それぞれ自分の時間も持ってますよ。どうでも良い人の為に休日に自分の時間は割きません。誘われても断ります。大切な人の為だから時間を割いても何かしてあげたいと思うんです。友達って良いですよ。色んな知恵が出せたり、色んな人の意見や見方も知ってさらに新たな発見もある。苦しい時にはその人達の励ましや助けで乗り越えられてきた。周囲への感謝と気遣いを持てる人なら質の高い友達や職場の人間関係でも恵まれるし、仕事での評価も上がるし、何かあった時に助けて貰える。友達多い人は常に周囲への感謝や気配りを忘れません。

<小学生でもできる算数です>

■個性化する=分岐の増加と拡大により(あなたの言う)どうでもいい付き合い率が増える
●個性化する=(あなたの言う)大事な人は限定される(たとえば生涯3人以下)
●更に個性化する=友人関係を超える(関係性を前提としない)概念が発生する(野村と江夏、麻生と安倍、宮崎駿と庵野、メルケルとプーチン、ガッツとグリフィスなど)

時代のトレンドは「個性化」
それだけの話です、

逆に言えば「個性化を否定し、同調圧力を強くかけると(全体主義)」(大事な組織を前提として)多くの構成員を「大事なイベントとして認識させることができますから」動員できる。←これが近現代まで続いた『共同幻想』社会適応主義。
<動員数が多いほど、個性化は減少し、同一性が上昇する>
<動員数が少ないほど、個性化は増し、同一性は消滅する>


そういう解説をしているだけなんですが?
友人関係を個別に否定したことなど一度もありませんぜ?
(数学的に親友強度が高くなるほど関係頻度は減少すると言ってんです《強度が強い=合わなくても信頼は普遍である=いまそこにいるようにいつでも状況を体感できる》→逆に信頼関係が無い場合は「常に面談して状況を確認したくなる」《典型例:ストーカー》)

■現代「最低でも歩留まり以上階層」は(多くが60年代の実存主義や吉本隆明の『共同幻想』論を知っているワケでも無いので)”付き合い程度の友人とも呼べない関係性”に気が付いているが、
そこをうまく説明する言葉もみつからないので、「友人などいなくてもいい」という”分岐”を認識しているだけで、逆説的には友人という概念を否定しているものではありません(彼らは”付き合い程度の関係性を否定”したいんです)。
 ↑
しかし困ったことに、この”付き合い程度の関係性”を「殊更友人関係として認識する人物」などがいた場合、めんどくさいことになるので(面と向かって「お前は違うから」とか言えないでしょに)、
『共同幻想』的関係性(所謂ブラック)が社会から大幅に(慣習含めて)無くなるまで、(且つ自分の個性化に制限を設けないためには)勘違いされないように現代の若年層は「友人などいなくてもいい」という分岐を認識せざるを得ないんだ(そういう論調を各所で目にするようになっている)と言う現代世相に関する話(それを補完しているのがSNS他の情報化社会《今後はマルチバースなどの仮想空間VR》)。

※本来解釈としては”間違い”だと思うが、試行錯誤の中で「フォロワー」などそれを代替する概念を彼らは探そうとしている。
※また、友人関係に代わる概念は(別に親友でもいいと思うけど)相手の意思に依存するのではなく(関係性の論議では無く)、自らの個性化レベルによって確認できるので(真の個性派であり続けているか)「主体的テーマ」である。

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posted by kagewari at 05:34 | TrackBack(0) | リクエスト関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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