そもそもナントカ障害ってのも臨床系が言い出したことだと思うけど、
心理学としては「仮に本人困ってなければ全然OK」であり、病気とすら思っていないんだが(フロイト時代もそういうネタがなかっただろうし)、心理学的にそこに何らかの典型的な症状があるのだとしたら、それは過剰に「友達ガー」「恋人ガー」とか思い込むことです。
(※勿論だが、労災や障害認定など社会的には《法的にも》病気の認定があることに異論は無い。言語的にその状況なりを『共同幻想』的に説明するには他に方法が無いし、本人が困っている場合それは常に《臨床が病気と認定しなくても》それは心理学マターだからだ。)
<<話は戻って、どういうことかと言えば>>
自称「コミュニケーション障害」なんですよね?
まずもって、コミュニケーションすることが前提になっているけれど、まずその言語の意味です。
過去ログに書いたけど、
電車に乗る、コンビニで買い物する、他人と会話する、←これができていれば、コミュニケーションに何らの障害はありません。
だけど、そういう意味で使っていないよね?
(心理学でいうとこの「適応強迫」みたいなことでしょ=過剰に・強迫的に社会適応を気にする事) ↓
あたかも”適応すべきコミュニティ”が前提にあって(この段階で『共同幻想』適応があたかもノーマルみたいな設定なってるけど、、、現代は既に少数派だぜ?)、
そのコミュニティー内で友人関係なり異性関係なりがスムースにみたいな?
いやいやいやいや、、、それは『共同幻想』適応論で、無関係な人はやらんくていいことだぞ?
●ちょっと整理するけど、近代『共同幻想』ってのは
「オマエも立派な○○(地方名方言)人だ」みたいな、型にはまった同一性人格をインストールしたか否かを前提に(集落はほぼ全員同一人格になる)「同じ(人格の)仲間だから皆友達だ」みたいな村社会を形成してましたよって、昔話に始まる。
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私語禁止の世界です(極論「個人的意見を言ってはいけない」)
その近代『共同幻想』社会は敗戦と文明化により見事に崩壊しまして、
昭和に残ったのは、”崩れ適応社会”の残滓のようなもので、
全国世論調査的に言えば、地方や大企業の年長者のメンタルにそれが残存している程度で、30代以降の若い世代においては、”ほぼ少数派”に落ち込んでます。
【個性化を標ぼうしたゆとり世代以降、急速に『共同幻想』適応系は少数派に転じている】
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●ちょっと保守派の方勘違いするかもしれないので補足しますが、
日本の文化伝統は上方でも江戸でもサブカル・オルタナ系であり(これが後の粋の文化やらアニメ・ゲーム・AV他現代の日本文化に連なる)、農村の村社会を例外にメインストリームは個性派重視です(単に日本の近代は欧米列強を前に明治維新でネジ巻かないといけなかっただけ→現実戦前戦中であっても日本は民主主義国家だったという論考もあった筈です)。
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