2022年07月16日

しつこつ説明「エピソード記憶」と『興奮』

『興奮』を伴わない「エピソード記憶」は存在しないし、
「エピソード記憶」を思い出す時、『興奮』も追体験される。

それが快なら感動かもしれないし、思い出かもしれないが、
それが不快なら教訓かもしれないし、ルサンチマンかもしれない。
 ↑
無意識状態の脳にとってその区別は意味を成さず(『自意識』の判定が必要)
「エピソード記憶なのか否かに過ぎない」
=『興奮』を伴う記憶か、否かに過ぎない

■事実快感代謝を巡る「エピソード記憶」には、『自意識』が関与しても、快なのか不快なのか判然としないものも多く(激辛、わさび、珍味、ジェットコースター、甲子園の勝利と敗戦、性行為、出産、博打における勝利と敗戦《負けても又次やりたくなる》)、無意識下の脳にそれが主体的に判別できたらむしろ異常現象である。

更に言えば、PTSDやトラウマ現象或いはスポーツにおけるイップスのように、
「エピソード記憶」は、『自意識』に対して上位であり(何故なら『興奮』は脳内物質の分泌を伴うものなのだから言葉にするなら「我を忘れて」など”本能の残滓”にダイレクトに影響し《典型例、体罰や躾「俗に言う身体で覚える」》)、フロイト自我論で言えば”超自我”を構成するからだ。
また、「エピソード記憶」は非論理的な情報では無く、概念(それはどういうことか)と結合する。
(概念の結合することで記憶として意味を成す)
一見それは『自意識』の関与にも思えるが、
その場合の関与とは『被る(こうむる)』認知の従属的なものであり(ショックが先だから)、
 ↓
「エピソード記憶」の解除は、
後から「それは過去である」認識のもとで、”ネタバレ”(実際それはどういうことだったのか)によって『興奮』の”幻滅”によって行われる(申し送り事項や但し書きが付く)。
「歴史的解釈」みたいなことだ。
しかし解除のためには、その記憶と向き合うことが必要なので(デバッグ)、
PTSDは容易に解決しない。

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posted by kagewari at 01:24 | TrackBack(0) | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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