たとえばね、
「お前がやったのか!」
「へ、あなたが命じたんでしょ」
「うそ、、」
「ほら」
「ゴメン」
↑
このようにストーリーの筋読み違いがある場合、
(何か不都合があったという事実に何ら変化が無くても)
行き交う反射的感情は安直に180度逆さまになる。
そら明解な事実関係に対しての主体的感情なら別だが、だとするならそれは理解であったり教訓的な収まりになるだろう(突発する”反射的感情”とはそら違うものだ)。
いずれにしても「曖昧な筋読み設定を起点とする”反射的感情”は、構造として地検特捜部の冤罪のようなもの」であり”作られた感情”だと言っていい(最初の設定ありきで、しかも嫌疑は漠然としているんだから)。
それは”反応”であり、現象に過ぎない←操作されていると考えることもできる。
「そのように情感を意識的に発露したかったのではなく、”そう感じてしまった”」ってことじゃん
※ここも『抗う(あらがう)』『被る(こうむる)』関連ではあるよね
●記事リスクエストの注意事項記事にみられるように
https://kagewari.seesaa.net/article/486298537.html
統計DATAで事実を突きつけられていても、
余談に基づく筋読みを変えられない状況が執拗に続いたりする。
(誰それが犯人に決まってると主張を変えない刑事や検察官みたいでしょ)
↑
これは、筋読み間違えてる検察官に証拠に基づく事実を突きつけてもデッチ上げを認めようとしない姿勢と同じであり、ある意味「冤罪体質」に類似したものです。
その冤罪ドラマで「ナントカガー」とかやたら『興奮』するってのは、
近所の某国世論でもお馴染みだろう。→こういう論議をさ「感情論」言うじゃん、
「何をやってんのかね」と、
お題となってる事実関係がそのまんま同じでも、、
そこにトンチンカンな筋読みを前提としているなら、やれ「ナントカガー」なる”反射的感情”はそれ自体がフェイク現象であって(『被る(こうむる)』だし)、論議の前提にならないんだわさ。
うっかりすると、
人は「泣いている人をみて(ここでも)反射的に大丈夫ですか」なんて言ってしまうが、
その感情がフェイク現象である場合、うっかり声掛けは「取り巻き」に利用されているだけになる。
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タグ:強迫心理