2022年06月26日

『個性』とは、他の人にはそのよさが理解できないもののことである

繰り返しますが、人類ヒト科のバリエーション限界ってありますから
(音楽として認識できる譜面構成には一定の限界がある)
「どこかの誰かは同じ趣味」←これは例外事項として考えてくれたまへ

参考となる指標を段階で示してみるとさ、
レベル1)この街には同じもの持ってる奴はいないだろうな
レベル2)この県(や都道)には同じもの持ってる奴いませんよ
レベル3)日本には同じもの持ってる奴いないと思うな
レベル4)世界広しと言えども、この構成は多分俺だけだと思うよ

レベル1)少なくとも隣街には同じ趣味の”同人”がいる
レベル2)少なくとも都道府県のどこかには似た趣味の奴がいる
レベル3)世界は広いのでどこかに同じこと考えてるのいるだろうね
レベル4)現代で俺と同じこと考えられる奴はいないだろう【ギネス・ノーベル賞級】

レベル1)この街には理解者はいない
レベル2)同県人にこれ理解できる奴はいないだろう
レベル3)どうだろ、日本にいるかな、
レベル4)これを理解できるとかw、世界で俺ひとりだろうよ

 ↑↑↑↑↑↑↑
ハイ、仲間達全員が〜?「いいよね、だよね」「そうだよね〜」予定調和で言えちゃう世界の対極でしょ。
※ここで悲しい具体例を恥をしのんで書くとだな、
高校時代だっただろうか、実家のある北海道の某市でだ(何故か昔からJAZZ喫茶が一店のみ存在した)、地元有志か市の助成か知らないが、世界的JAZZピアニスト「ミシェル・ペトロチアーニ」を呼んでソロコンサートをやった。嫌な予感はしてたんだよ、、、
その会場には両手で数えられるほどしか観客がおらず(ドデカイ会場に新宿ピットインの半分以下)、申し訳ないやら地元民度への絶望やらで冷静に音楽を聴けなかった記憶がある(終了後に会場外で「だから呼ぶなら最低札幌にしておけ」と激怒した)。 「そういうことだ!」


 『個性化』ってのは”予定調和適応”の対立概念ですから

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posted by kagewari at 01:23 | TrackBack(0) | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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