シンプルなパターンだと、
王侯貴族などエディプスがバリバリの中世欧州などにおいて、壮大なクラシックが役割を果たすじゃん。作曲家のスポンサーしかりね、
(実際に壮大なことを成し遂げなくても、壮大な音楽はやった感だけをシミュレーションみたいに体験できる。脳を騙すほどではないだろうけれど、脳は快感物質をゲットできればいいのであり、それが現実だろうとエンタメだろうと”どっちだっていんだから”。)
なんつーか現実世界を”ほどほど”に収めるにも役に立つってことで(勿論カタルシス効果で)
【カタルシスの語源からしても古代の演劇などからでしょ、】←そのまんまだよ
逆に言えば、音楽の存在が「カオス化しているリビドーの流れが、人類ヒト科に共通して存在している証明」でもあるんだけどさ(BGM流れている映像などがリアリズムを担保しちゃうんだから、脳内で現実認知がどれほど”現実離れしているのか”がわかる)。
そのまた逆で言えば、これを活用することで「行動療法的な効果が期待できる」ことになるんだが。
(※男子にはあまり無い習慣だが、音楽かけてダンス踊るとかが「行動療法」的に高い効果をもっているだろうことは明らかだ《オーディオマニア的には”いい音源と忠実再生”でやれば更に効果は高まると思うんだけどね》)
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【ハイ、ここで一つ問題があるんです】
典型例が「モダンJAZZを理解できる人とできない人」
(JAZZの部分を”ピカソ”に置き換えてもいい)
普遍的に質のいい芸術なんて概念は”存在しない”けどさ、
なんてかな、償却量のデカイ芸術が存在するのは確かだろう。
(見る人が見れば卒倒するほどの”代謝量”を保有するなど)
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もっとわかりやすく言えば、
同じファッションでも「凄くいい気分になる人と、何とも思わない人がいるでしょ」
流石に多言語を理解するほどのハードルがあるとも思えない。
●説明するまでも無く、その多くは『共同幻想』認知リミッターが原因なんだが、
(アダルト向けに言えば”不感症とは何か”みたいなテーマ設定だよ)
食事でもそうで、
ケインズ経済学における限界効用にも関わる話だと思う
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