2022年05月22日

ひさびさの『単独者』論(完全に個別化するとか”やろうとしても不可能”)

本当に個性を発現すると、全てがオンリーワンになり個別化すると思う人いるかもだけど、
それは生物としての人類ヒト科の限界に到達して不可能だと思ってます。
(悪く言えば、所詮サルのすることですからw)
実際心理学を在野であれこれ探求する上で気が付いたというか、白かったことは哲学家から心理学まで「誰もが同じ結論に行きついており《見え方はそれぞれだろうけど》」それをどう言語化・論理化するのかって手法の違いこそあれ、だいたい同じこと言ってるってとこです。
 ↑
そして、それを翻訳というか(だから分析って言うんですが)謎解き(ネタバレ)したのがフロイト心理学で(点と点と結んだというか)、フロイト以降はなんやかんや現代思想含めてフロイトの影響受けてますから系統樹的にアレだけど(フロイト心理学派生のケインズ経済学とその後も似たようなもんでしょ)、

<<そんなことはともかく【そこからわかることは何か】>>

人間の脳全開で考え付く限界点は「同じ人類ヒト科なんだから似たような結末になる」
そらそうです、宇宙人とかいないから。
「どういうこと?」イマイチわからないかもしれないので、ネタを変えるとさ
(さっきまでの話は人類の存在とは何かを別角度から探求する哲学や心理学や現代思想の行きつく先が似たような話になるってことだったじゃんよ)
●「花を見て感想を言う会」があったとしましょうか、
審美眼はひとそれぞれだから(好みもあるでしょう)個性化すれば全員が違った結論になると思う人もいるかもしれない。
果たしてそうだろうか?
「適当なこと言ってみたり、ふざけたインチキ言う」とかは”無し”
花を観察する時の、視覚の性能や、表現手法含め、人類としての限界が共通なので→「仮に全員が類似した専門性の保有者の場合」→表現は類似します
(バカの度合い《知見の限界》に応じたグラデーションはあるとしてもね)

その花をダンスで表現しましょうってなると、また話しは別になると思うけど、
(しかし今度は、類似したテクニックのレベルに到達した者だけに限定すると?骨格や可動域、人類としての限界が共通なので、、、←ね、こうなるじゃん)
 ↓
そこに芸術性って話になれば、また一段変わることは変わるけど
(基本ここフロイト的に言えば『昇華』だもんさ→ある意味で現実と乖離上等なっちゃうんだよね)
そこは花の解釈では無く、「表現形式のオルタナ度」を見ていることなるから、
もう話の基準が違うよね。
(今度は洒落や冗談など、ひねり方の限界って論議になるのかもしれないけど)


■何を言ってるのかってーとさ
現実認知を理解する手法が類似する場合、
(示し合わせた共感や、同調圧力では無く《『共同幻想』など不要》)
阿吽の呼吸でニヤケながら【友人ですら無いのに】
「わかるわかる、同じ同じ」辿り着いた先は”結果、人類ヒト科の限界という点で類似する”

物理学の「ナントカの方程式が解けるか命題」ってあるじゃん、
30年も40年もあーでもないこーでもない世界各地で研究続けて、
謎を解いた物理学者がノーベル賞取る奴、
(彼らは示し合わせてもおらず、同等圧力もありません。)
物理学の知見が最高レベルってことが”条件”であるだけなんだわ
「だったら、わかるよね」→阿吽の呼吸でニヤケながら「わかる、わかる」

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タグ:『単独者』
posted by kagewari at 07:01 | TrackBack(0) | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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