言い出しっぺの思い付きはそこではなかっただろう
(だいたい『共同幻想』道徳論の始まりはどこぞの宗教だったりするからね《日本であれば仏教とか→ちなみに神道にはほぼほぼ教義が無いので道徳論とか出てこない》)
「口汚く罵る」←これはアリアリ(批判でもそういうのあるからね《EX:国会論議》)
「口汚く罵る」のは結構だが、その中身が「批判なのか、単なる悪口か」という話。
●論旨のしっかりある批判であれば、それはブーメランにならない
●論旨も曖昧で、盛られた悪口は→結果的に相手を凄い人物と《凄く悪い》と、立場変えれば褒めていることになるので、自分にブーメランで戻ってくる
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言わんとしていることは、
「単なる悪口は程度の低い論議になるので(ガキじゃないんだから)やめとけ」ってことです
<<こんな話を説明必要かと思うけど、ままよで考えてみましょうか>>
■批判ってのは論理矛盾などを指摘するもので、
ざっくり言えば「おかしーだろ!!」って論議、
その論議の中で、「頭おかしーんじゃネーのか」など口汚く罵ることもある、
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つまりね、何か激しい言葉を投げかけるなどの行為において、
批判的視点で困ることなど何も無い筈なんですよ〜
これに対して?
■悪口ってのは、道徳的な悪性論など”情緒的いい悪い論”を根拠とします
ざっくり言えば「そんなことして悪いに決まってるだろ!!」って論議、
その論議の中で、「こんな悪い奴は許せない(容姿をあげつらうなどの悪口を連ねる)」など口汚く罵ることもある、
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つまりね、何か激しい言葉を投げかけるなどの行為において、
何も得るものが無いんだわ、
答えは簡単で、相手が「悪いと思ってるワケ無いだろ、おまえこそ悪い」と返されると、
口喧嘩が永劫回帰するだけでさ(おいおい何がしたいのって話になる)
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そらそうです、どうしてガキがこの悪口を得意としているのかって、
それで親などを釣って「口喧嘩などを繰り返す濃密な関係性を継続したいから」です。
(口唇期や肛門期などの小児性サディズムの延長)
昭和の某心理学者のベストセラーで言えば「甘えの延長」である。
悪口ってのはさ、その裏返しの行為が”いいことだ”と期待しているのであり、
言ってる本人が、「自分には本来”いいことが”ある筈だ」の主張でもあるんだよね。
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タグ:強迫心理