「何をしても(絶対に)ダメなんデスッ!」
いやいや”何をしても”ってのも随分抽象的な動詞だと思うけどさ、
「漠然と努力とかそういうことかしら」
(俺もかくかくしかじか考えてきた話ではあるんだが、このネタは”抽象的”にぼかされてるとこが鍵なんじゃないかな。)
■たとえば似てるけど、似て無い話があります。
こんな感じ、
どうしても無線LANカードが動かない(デバイスマネージャー黄色いマーク)
かたっぱしから様々なバージョンのドライバをインストールしてみたがダメ、
「やれるだけのことはやってみたんだけど、こりゃどうしてもダメだね」
”何をしたのか”が、妙に具体的だよね、
「そこまで言うなら、こりゃ相当苦労したのだろう」
●ところが前者は「で、実際何をしたの?」トレースしていくと、
「それは何かをやってみたってことになるんだろうか」なケースがチラホラ登場する。
※どんな感じかっていえばさ、
過去にこんなことがあった(コンプレックスネタ関連に「無力過ぎる」みたいなんあった時)
「筋トレやってみましたが(この話の始まりはたった数日前)、全く効果がありません。むしろ筋肉痛で力が落ちました」
「って、、あなた数日しかたってないだろ」
「ついでに言わせてもらうけど、筋肉痛は筋繊維に刺激が入った証拠で、それがリカバリーされる時に筋肉は強化されるんだけど、、、」
※簡単に要約すると「何をしてもダメの結論が”絶対”であり」←それが自我防衛ラインなんです
無意識下のこうだから設定の「強迫心理」にとってね
(その設定を防衛しないと「悩みが解決してしまう」:不快代謝のネタを喪失してしまうから困るんです)
そして前回予告編をちょい校正すると、
●「強迫心理」がコンプレックスネタを煽ると、
「何をしてもダメだ」と思ってしまい
●コンプレックスから解放されて自由になると、
「どうにでもやりようはある」に変化する
(そこには”ダメでも”試行錯誤の領域が諦めるまで無限に続く:素の”快感代謝”)
↓
逆さにするとこうなる、
「どうにでもやりようはある(成功の是非はともかくどうでもいい:心理学の原則”結果論に意味は無い”)」
にも関わらず「何をしてもダメだ」と思ってしまう心理
↓↑
<コンプレックスや「強迫心理」に付随する状況ってのはそういうものなんだわさ>
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