同時に”家幻想”の限界も表している。
所詮『共同幻想』であり、自由意志や自己責任を担保した『自意識』の再選択でも無い、
よく言えばホームドラマ劇団の契約であり、悪くいえば”烏合の衆”に過ぎない。
忘れがちなのは”家幻想”とは赤の他人同士の夫婦であることだ。
近代までは表向きながら仲を取り持つ仲人役などの中立お目付け役を置いて(はたまた女性差別史観を利用して姑が権力の頂点に立つなど)三位一体の『枷』をハメたが、
(かといって当時から親族近親者の争いが無かったのでも無く:勿論相続争い他)
これが戦後の(GHQもキリスト教の枷がはまった前提だったろうに)「自由恋愛」による結婚となって以降グダグダに”崩れ”てしまった。
●そらそうなんです→『自意識』を「抑圧」し、(普通の人という)共有・共通人格に置き換えた適応者境は、自己責任を担保していないので(ある意味どこにも責任者がいない)民主主義やら契約社会もクソも機能せんのです。→「なんか昔の結婚制度をノスタルジックになぞってみたよ」ぐらいのものなんですよ。
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だから、現代「最低でも歩留まり」階層は「これは何かヤバい」と、
「少し考えさせてください」となった《非婚・晩婚化》
この辺の『共同幻想』崩壊が、何の説明も無く(てか”適応者”には構造的にそれを説明できる人がおらず)なかば無秩序に放置されたものだから、
うっかり考えもなくそのまま結婚制度のレールに乗っただけの家族では大騒ぎが始まる。
(受験戦争時代→家庭内暴力時代→引きこもり時代→ニートやら育児ノイローゼ時代→幼児虐待時代、、、、各方面枝分かれしつつグダグダに崩壊の度合いを広げていく)
ついに「やれ婚活だ、出会いはアプリだと(オマ、だったらGHQ以前の近代見合い縁談社会のがベターじゃん)」、自由恋愛のお題目すら捨てるに至る。
■それは”家幻想”内部の人間関係も複雑化し、
各所に「強迫心理」の種がばらまかれている状況なので、何かの拍子に誰かが地雷を踏めば刃傷沙汰にもなろうというもので、
社会進化説みたいに、文明化する中で「家幻想内部の犯罪も激減←なんてことは起きなかった」ということです(近代と比べれば親の体罰の暴力が消えたぐらいのもので)。
社会進化がもうさ、「地縁血縁社会→利益関係契約社会」にシフトしちゃってんものさ、
そのままなら”家幻想”はその存在そのものが近現代の終わった概念ということになってしまいます。
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