時に、依存性と主体性が比較されるけどこれは言語的に言えば(脳内文法)
『被る(こうむる)』VS『抗う(あらがう)』であり
受動系に対する能動系である、
(はたまた人称代名詞VS一人称)
↑
●以下の表現は随分ハチャメチャに思えるかもだけど、
(うまい事説明する文章思いつかんかかった)
「強迫心理」なる、なんつーか擬人化したら悪役みたいな”モノ”が固有に存在しているのではなくて、現象の名称だから(動名詞《ing》的なことでいいのかな?)
わかりませんか?中の人として「強迫心理さん」みたいな人物はいませんよってこと
(多重人格のようなものをイメージしないように【全く違うから】)
だって、「それが強迫的行為だ」ってことが、自分にバレたらいけないのであり。
無自覚に、無意識に強迫的行為を慢性化させる構造なので、
「どうしてもそうなっちゃう流れ」みたいなものです。
(なので、ほとんどのケースで第三者なり関係者なりが「どうしてそんなことするの《普通考えられないだろ》」と策も無く指摘すると、ほぼ100%「わかるわけないでしょ!」と逆切れされる状況のこと。)
しかも、極めて《レトリックでいんだと思うんだけど》巧妙というか、
パッと見文章楮図は破綻しておらず(国語読解の点数高い人にはバレると思う)
これまた高い確率で、当事者人は「そういう印象の表現を使用した自覚も無い」んだわ。
(違う意味にはなってないけど、よく読むとオカシナ文章の筈なんだけど、当人には間違いなく辻褄のあっている”よくある文章”だと思っている。)
<<<以下は、当事者が全く同一人物なのに別の人格か?にも思える分岐です>>>
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