2022年02月05日

『単独者』ネットワーク社会に家族はあり得るのか?

”家幻想”が滅びるのだから、単位が”家族”とはならないのかもしれない。
本人を特定するものでは無くても、属性が無くなるのではないから(属性が軽くなるだけ)、
親は親だし子は子でしょ、
(そこに特別の意味が無くなるだけ。実際高齢化社会で晩年は関係性逆転したりする)
この世には『愛用』という言葉もあるし、避けようも無く”ノスタルジー《退行化フラグ》”のネタも積みあがる、「そういう縁にある」ってのは生まれた時代を選べないのと同じ普遍性だし、
親子関係なり、兄弟血縁なりが(権威性は失われても)消滅するのでは【無い】

誰にでもある「必然的な縁」として認識されるだろうし、
費やされる時間経過は愛用と同じ、自然権的な愛情関係にもなるだろう。
 ↑
●「殊更疎遠にしたり、仲たがいする理由は発生しない」
半面、組織活動や個人の選択が優先される場合は単独行動のが上位になるだろうって話。
(かといって、権威性の共有が無いから、縁者の単独行動を誰も何とも思わないっていうか、「自分もそうだし」と。)
 ↑
この様子を保守派の人は「家族がバラバラじゃないか」とか勘違いするかもだけど
 ↓
■『単独者』の原則として「親友とは頻繁に会わない」ってのがある、
(互いに命かけてやってることがあるだろうから、用も無いのに邪魔したくないじゃん)
一見関係が疎遠だからといって(てかむしろ疎遠が、相手の個性《自分との違い》を理解認識する愛情だから)、相手を尊重していないってことにはならない。
「命がけで夢の学部なり学問の勉強している奴をさ、連日飲み会に誘うのは友人か?」
 ↓
無くなるのは権威性を前提とする付き合いや、
承認欲求目的の(だよね、そうだよね要員)”お誘い”でさ、
本気の用があれば、何があっても駆けつけるさそりゃ(そういう腐れ縁なんだもの)

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タグ:『単独者』
posted by kagewari at 06:21 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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