ちょっとガリレオのwikiを、、、
↓<一部引用>
当時(中世イタリア)の権力者たちの権力争いの渦に巻き込まれる中で、次第に敵を増やす形になってしまい、ついには彼のことを快く思わない者によって、彼の支持した地動説を口実に異端審問で追及されるように追い込まれたり、職を失ったり、軟禁状態での生活を送ったりすることになった。職を失い経済的に苦境に立たされ、齢も重ねたガリレオは病気がちになった。これを知ったルネ・デカルトは、自身も『宇宙論(世界論)』の公刊を断念してしまった。追い打ちをかけるように、ガリレオを看病してくれていた最愛の長女ヴィルジニア(マリア・チェレステ)を1634年に病気で失ってしまう。さらに1637 - 1638年頃には失明した。
フィレンツェのサンタ・クローチェ聖堂にあるガリレオの墓
しかし、そうした困難な状況においてもガリレオは口述筆記で成果を残し、1642年に77歳で息を引き取った。
異端審問で何と言ったかは書いてありませんでしたが、
「オイオイ、異端審問ビビッてた人にデカルト先生もおったんかい!」
●まそんなことで、
民度もクソも、『共同幻想』全盛期には「理屈もへったくれも無い」のでございます。
↓
まさにニワトリか卵かって話ですが、
「文明化により世俗化が起こり」同時に「世俗化により文明化が進む」のでございます。
(※ここ、時々数量経済学者の高橋洋一氏が引用するなんちゃらの法則で「民主化されてない国では経済成長が先進国手前で止まる」って話にも共通しているんだと思う)
■偏見ってことになろうものなら、
魔女狩り(実はユダヤ人狩りとも言われている、当時は錬金術師転じて薬剤師みたいなユダヤ人が多数いた)やっていた当時の中世ヨーロッパで何をすればいいのかってあーた
↓<「マシュー・ホプキンス」から一部引用>
当時、水は聖なるもので魔女を受け入れないので、魔女は水に浮くという言い伝えがあり、魔女と疑われる人物を紐で縛り上げ、水に入れて浮かべば有罪、沈めば無罪とする方法であった。しかし、有罪ならばもちろん死刑、無罪となっても溺死する事が多く、当然公正ではない手法である。
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この拷問官に「偏見はいけません」とか通じると思う?
●俺の記憶が確かなら、中世ヨーロッパの異端審問や拷問・火刑だけでなく、米国西部開拓時代の絞首刑なんかも(ラジオも無い時代の話だから)「村人みんな《祭りだ祭りだと》集まってきて一大エンタメとして大盛り上りだった」(屋台も出ようかって勢い《米国ならインチキ薬売りかな》)と言われてた筈。
これも、米国の場合連邦政府がきちんとするまでは任意のってか地元有志の投票で決まる”保安官”が(現代も投票制で存在する)任意に行ってたものもあると思う(有名なワイアット・アープとかはこの保安官)。日本も地元の十手持ち(おかっぴき:今でいう駐在のお巡りさん)はヤクザ者だったりする(だから銭形平次の”親分”なワケ、ちなみに任侠ヤクザの清水の次郎長親分も十手持ちでした)。←そのヤクザの治安維持状況を幕府が見回りするのを「八州廻り(或いは関東取締役)と呼ぶ」
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●偏見から(実はベトナム戦争の英雄、特殊部隊出身の)帰還兵が”よそ者のホームレスは出ていけ”と拷問まがいの扱いを受けるシナリオもこの地元保安官事務所だったと思う 《映画『ランボー』》。
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