紗〇子さん
>実際に身体の方は差別されません。反対運動も起きない。精神障害や知的障害だから差別や反対運動が起きてるんです。パラリンピックはすごいと見る人はいてもスペシャルオリンピックスには殆どの人が関心もってません。身体障害の方の介護(との言い方も彼らに失礼かもですが)はできても、(曖昧な説明が理解できない、1聞いて10を分からない)知的障害や精神障害の人に一から丁寧に説明するのが面倒だと言って説明もせず、何故わからないのかと当事者に責め立てるような器の狭い人が殆ど。反対運動は偏見意外の何物でもありません。
参考になるかなと実は記事書いてたんですよ(下書き終わって明日アップ予定)
そしたらブレンドコーヒー飲むのはアタシでは無くあなただったんですけどね、、、
いずれにしても詳しくは明日アップ予定の以下タイトル記事読んでください
■「偏見と民度」(まず地球が丸いってこともにわかに信じてもらえなかったこと思い出そう)
https://kagewari.seesaa.net/article/485175763.html
まず、「偏見だ」とか感想持つのは自由なんですって、
(自由なだけでなく、それがあなたの意見なら大いにその線で考えることも建設的でしょう)
アタシが言ってるのは、リクエストお題となっている『共同幻想』社会の反応を、『共同幻想』論で説明してんの《この事務所の専門は心理学で倫理道徳じゃないから》。※「それは偏見です、なぜわからないのですか」と責め立ててもたいした効果は無いですよって。
この話の背景は、一般社会の歴史的モデルとなってきた『共同幻想』適応社会が「偏見してナンボの社会だ」ってことです。
●何度も言いますが、「彼らにとって偏見は正義なんだってば」(てか偏見が大好き:反して自分達の同一性が盛り上がるから)
”排他性無しに組織化はできない”
(グラウンドにふらふら卓球部とか茶道部がウロチョロしていると、サッカー部は練習できない)
『共同幻想』社会組織を構成するにあたって、「排他性」はある意味彼らの存在意義であって、
(ブログ記事各所に書いてますが”イジメは基本性能”ですから《弁当に入ってる卵焼きのようなもの》、イジメが無かったら『共同幻想』では無いってぐらいの勢いの話→彼らは「イジメが三度の飯より好きなんだってば」←それは偏見ですって指摘しても、《表には出さないが》彼らの深層心理は「へ、最初から偏見ごっこのつもりなんだけどだから何?」って事でしかない。)
■明日アップの記事に中世ヨーロッパの魔女狩りにも触れますが、
「偏見もくそも単なる難癖」ですから(笑
何故そんなトンデモが成立するのか?→「排他性エンタメ=組織性の一体感の高揚」
何故そんな高揚感がもてはやされるのか?→『共同幻想』適応社会構造は全員にストレスだからです(自覚されていないだけで、全員が嫌々適応している)
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ニワトリか卵で考えてもいい
「ボールを手で持って歩いてはいけない」←ストレスですよね
しかし、その設定があるから→「サッカーという競技《この場合エンタメ》が成り立つ」
『共同幻想』ってのはそういう構造にあるワケ。
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タグ:『共同幻想』