『進撃』の台詞で有名な「この世界は残酷なんだから」ってありますが、
いやいや残酷も何も”生存競争(生き残るために他者の命を省みない)”は地球上の生物の摂理といか成り立ちであって、社会的ダーウィニズムへのアンチテーゼである「棲み分け論」も、安全保障の一つの在り方でしょう(身を隠しているとまで言いませんが)。
少なくとも水のあるところ(他の動物達だって水飲み場は争いになる)文明が起きる法則で(やれナントカ川文明など)、そのような”生産性の高い土地”は地球上でも限られており、ヘゲモニーまで言わないが、発展(勢力拡大)を望む各勢力がその地を巡り争奪戦になるのは自明のことで、
【単純に言えば椅子取りゲーム】
他の動物と同じく、人類ヒト科も動物ですから、
戦う意思を持った闘争(生存競争)あってこそ人類ヒト科であるのであり、
”そのまま戦争とは言いませんが”、
あーた「社内の出世競争だけでなく、恋愛ドラマですら闘争じゃんよ」。
それがミクロに起きるのか、マクロに起きるのかの差でしかない。
実際生命は他の生物の命を奪って糧としている。
説明するまでもなく、植物の世界にも闘争はあるし、微生物もそうだろう。
「生きる」という現象は「生存競争」のことであり、
●再び『進撃』から引用しますが、
「生きる」ということは「戦う」ということです。
限られた酸素を巡って、呼吸すら(ミクロの単位含めれば明らかな)闘争です。
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「感染症と戦う→ウイルスを殺害する」
(あーた人類の身体の一部は取り込んだウイルスなんやで:実は高等生物はそういう意味でキメラとは言わないが複数の生物の集合体とも言える。微生物無しに人類無しや、)
■所謂暴力の概念は「同族同士の争い」と言うこともできる。
この点、動物行動学者のローレンツは「広い意味で自然界では起きない(降参の合図に無条件反応する攻撃停止の本能があるため)」としていますが、
毛色の変わった実験に「ねずみの楽園」ってのありまして(これはローレンツの鳩舎の観察と同じなんだけれど)「閉鎖的な空間や、人口密度により同族同士の闘争《暴力》は容易に起きます」
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じゃあ世界の平和のために人口間引くか?(どこぞのセレブ陰謀論みたいに)
「それも大概の殺りくになりますよ」
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