<意識的に一部暴論となっていることを予めお断りしておく>伝統宗教の始まりについてはある程度歴史で追いかけられる。
流石にユダヤ教の始まりまでは追えないが(モーゼの話なんか未知との遭遇みたいだし、、)、アブラハムの宗教語る上で、キリスト教以降はわかっている。
キリスト教は「ワインが買えない貧乏な人は水でもいいじゃない」と言った宗教で、ユダヤ教の儀式が当時特権階級に限られていたのかまではわからないが、宗教的知見(仕事もせずに知的探求やっていたのは当時宗教家だけだから)これを一般大衆へという運動だったことが推定されている。
ムハンマド君については(彼は貿易商か何かの息子でエルサレムなんかにも頻繁に出入りしており)、ユダヤ教国やキリスト教国に比べて、多神教部族社会のアラブが「やられっぱなしじゃないか」と、ユダヤ教やキリスト教を研究し、「これが最新版です」と出したのが”コーラン”で、
彼は識字率向上や(古典アラビア語を全員が話せるようにと翻訳を禁じ、司祭的な上位権威を否定、読み書き教える教師だけを許した)、衛生管理など(手を洗う事やきっちり火を通さないといけない豚肉を禁止するなど)公衆衛生にも気を配った(政治的着想もあったため、現代でもイスラム法だけで国が運営できるという原理主義に繋がっているかもしれない)、確かね不動産の取り決めも戒律にあったと思う。
※で、多神教を信じている部族社会を「そういう宗教全部やめれ」と武力で改宗させたのが”初代のジハード”なんだわ(布教の時に多数の死者が出るので、未亡人対策として一夫多妻制を許した:戦後補償のことも考えてる宗教なんだわ)。
でーユダヤ教という意味では無く、旧約聖書における「ソドムとゴモラ」やら、
ペルシャのゾロアスター教の流れを汲む(でいんだったかな)インドのヒンズー教関係でもある叙事詩リグベーダだとかラーマヤーナやらに登場するように、
庶民の性が乱れて大変なことに(入れる場所を間違えるなとかこのなんというか初歩的性教育が必要だろうと)、、そういう危機感も各宗教の始まりにはあったのだろうと推定されてる。
※仏教は、ヒンズーだったかゾロアスターの「宇宙のファンタジー」って密教的な書があってさ、それがベースになってると言われている。
(ちなみに特権階級だったブッダが宗教にはまったのは、街で貧しい民が死んでいるのを見た時に「えっ人って全員死ぬの?」と従者に聞いたのがきっかけだったかな。→今豊かな暮らししてても意味無いじゃんみたいな。)
■伝統宗教が結婚許認可の権力を持つに至る背景には、
前述にある、性教育庁的な始まりも関係しているかもしれない、
(最近ヴァチカンがどう解釈しているのかわからないけど、LGBTは戒律で禁止だから。←ソドムとゴモラで大変なことなっていたので《村人全員ゲイみたいな》、いい加減にしなさいと禁止したワケさ。)
不特定多数の性交(自由恋愛)事実上禁じたのも性病予防じゃないかな(夫婦の出産目的以外での性交禁止)。
※この話にもオマケがあって、イタリアの風物詩に「教会の前には必ず売春婦が立っている」ってのあるんだよね(これを皮肉と言えばいいのか”管理しているようなもの”と言えばいいのか、、「懺悔とセット」なのか、、)。
●つまりー貴族階級を例外に、庶民は食うのにやっとなので、仕事もせず勉強できる存在は当時宗教家だけであり(当時の貴族は領地を守るため戦闘の最前線に出るなど忙しい)、
「オマエラなー、何をやってんだ!」←【はい、これが道徳の始まり】※個人的に道徳的ってのは「個人レベルだと美意識のこと」なので例外、末尾参照
でさ、当時としては無知蒙昧な上に野蛮な庶民になんと言ってきかせりゃいいのって、
「これ破ると神罰下るから」と脅すことだよね。
(人類普遍のエディプスコンプレックスにより、普遍的スケールで人類ヒト科は”神のような超越的人物”のイメージ持っているから《放置すれば即死という言葉も知らぬ赤ん坊状態の時に世話している”巨人”(主に親のこと)をあまりよく見えない目で見た記憶のこと》)
言うならば、エディプスコンプレックスを利用して刷り込んだワケだ。←これが人類最初の教育
↑
※あれだよ、自然科学もロクに見いだせていない時に(ギリシャ文明はたいしたものだったけど)、学問は各地で「坊さんによる形而上学から始まった」ようなものじゃないかしらね。
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posted by kagewari at 22:06
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精神分析時事放談
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