「言う事聞かないと夜TV禁止だから」→「エ”ー!!」
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昭和でよく見た風景ですが、ま、強迫ならぬ脅迫だよね(笑
人格を操作するてっとり早い方法は、”不快代謝”の煽り(ビックリさせる極端なの意)によって、個人的意見そのものを抑圧・弾圧してしまうことです。
※これ現代の個性化の反対
最近昭和のプロ野球選手のyoutube動画をよく観るんですが、
スリークォーターで、日本で最初にカットボールを投げた武田一浩氏だったかの話が笑えます。
第2話【神回】ファミリーの前で発狂された!?衝撃すぎる明治大学の地獄の寮生活・・・【武田一浩】
https://youtu.be/JCgYht55XUE
(最初に「ここがどこだかわかるよね」って、殴られちゃうんですからww)
当時の体育会系の意図は、
・強制的にやらせる指導方針のかなりの部分は基礎体力系で(種目がスポーツですからその選択にはほぼ間違いが無い)、個人的意見なんて尊重していたら(当時は子供も多かったですから)大所帯のチームの運営などできなかったこともあるのでしょう。
「偉そうなことはプロに入ってからやれ」と、
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これを肯定しているワケじゃありませんが、
賢くないかもしれませんが、強制された人格なりその部の集合知なりを叩きこまれることになります。
「〇〇大学野球部員」という”らしい共有人格”になることが求められるワケですよ。
(※参加者はそれをわかって志願して参加しているので”確信犯的再選択者”とまでは言えないかもながら、)
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