2021年10月08日

「強迫心理」構成のシンプルな解釈(なぜ無意識にそれができあがってしまうのか)

ここのとこ、フロイト心理学の”超自我”の話もするようになってきてるけど、
(本来は『共同幻想』論でここ包含しようと思ってはいるんだが)
単純に言えば”超自我”ってのは、幼児期に神格化されている親やそれに類する(昭和以前は長兄とかの場合もあった)保護者とのやりとりで発生する「エピソード記憶」が格納される記憶エリアのことで、中間テストの勉強が記憶される場所と”違い”
「エピソードフラグを解除しないと忘れられない領域」を指し、
主として宗教的戒律や、道徳や、厳しい躾(家訓)など、個人的利益代表である『自意識』より上位の(超越的な)admin権限を持つ領域であるため→”超自我”と呼んでるものです。

「豚肉が食べたい、しかし、、どうしても食べことができない!(by.イスラム教徒)」
 ↑
これのこと(極端に言えば”カタカタ震え出すほど食べたくでもできない”みたいな)


●はい、そういうワケで
幼児期に権威者(幼児期ならではのデフォルメで神格化されたり、ヒーローイメージ化されたり、聖母イメージ化されたりするため)との関係で獲得される”極端に目立つ記憶”は(驚いたとか『興奮』伴ったとか)、自動的に「エピソード記憶」として、”超自我”に格納されるので、
・たとえばね
「子供時代に権威者と訪れた地元で有名な観光地などの記憶は?」
ガチ、ノスタルジーのシーンで鮮明に思い出される郷愁の一枚になります

 ↑
大人になっても仕事関係で手ひどい失敗などして、『退行化』すると速攻イメージが再現され、
「田舎に帰ろうかな」なんて思ったりするわけ(笑

読者の方はもうわかると思いますが、
「田舎のローカル『共同幻想』保守志向」ってのはこのようなエピソード記憶の獲得と、半ばフラッシュバックするような”仕組み”(ノスタルジー)により構成されることがわかると思う。
∴故に、ガッツリとローカル『共同幻想』に適応した自我は、決して田舎を離れません
(BOROのヒット曲「大阪で生まれた女」)


<<<ちょっと小ネタですが>>>
社会適応の”適応”って何?って、配慮に欠く表現すると、、「洗脳」です。
(本人の間接的同意の元入れ替えるので、正式にはオマージュとか”認識に対する影響”
自 我 の 一 部 を 社会 に 適応 さ せ る
=「入れ替えるとか、接続させる」って意味ですから、
自我の社会化=個人としての一部を社会的自我という”テンプレート”に置き換える
置き換えるためには、個人としての一部を「上書きする」ことになるので、
=『抑圧』と構造は一緒です
 ↑
何も恐ろしい話ではありません、
・ボール遊びをしている少年がいるとします(蹴ろうが持って歩こうが投げようが自由)
・公園でサッカーで大興奮している子供達を見ました
(自分の遊びよりより高い値の興奮を獲得している:快感代謝)
・「僕もそれやりたい」
・「サッカーって言うんだよ、手を使っちゃダメ、それからオフサイドって言ってさ、、、」
(僕のボール遊びは、サッカーに上書きされそのルールを守ることにも同意)
・自由なボール遊びとか忘れ、ルール遵守に道徳的認識すらある→ズルする奴に激しく怒るなど
「サッカーやろうよ!」
(●重要なポイントは、以降僕は「サッカーを知らず、ボールでマヌケなひとり遊びする子供を見つけるとバカにしたり、軽蔑するようにすらなる」ところで、『共同幻想』論や、イジメの論理などにも繋がる話でしょ?)
 ↑
これがスポーツという社会的概念への”適応”ね、

→続きを読む

posted by kagewari at 12:52 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


Amazon 2
所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




comments他

・コメント欄は『公開掲示板』同様に原則削除禁止です
(基本的に削除依頼には応じられません、削除依頼は投稿禁止ワードとなってます)

・SPAM対策として一部キャリアからの投稿がIP規制の対象となってます
(同規制キャリアから登録抜けによる投稿がある場合、投稿は自動削除されると同時に規制IPに追加登録されます)



現在コメント欄閉鎖中 (2014.7.26〜)



LINK
□ダークサイドオブkagewari(ミラー)
■retour&Retour
□etc;;Blog

kagewari01
タグクラウド
RDF Site Summary
RSS 2.0