2021年09月30日

リベラルと慣習(無限に自由化すると自由の概念壊れるから)

最近”ほぼ歴史家”の「もぎせか」などのマトリクス分析で政治選択などにおいて、リベラリズムとグローバリズムがごっちゃになっているとこあるけど(手法の批判ではありません)、
■「フリーJAZZのジレンマ」でお馴染みのように、
『自由に対応する抵抗や制約(それを秩序と呼んでいいのかはともかく)』
これは両輪で(音楽で言えば、コードでもモードでもテーマでもリズムでもスケールでも何でもいいけど)”お題があってボケ(フリーパート)が成立する”、

かの有名なキース・ジャレットの『ケルンコンサート』にしても、
あれを即興演奏と呼ぶべきか、即興作曲と呼ぶべきかで意味が違ってくる。
何の制約も無しに好き勝手に”自由っぽく”ランダムに音を出すだけだと(ぶっちゃけテクニックすら不要になる)高度な音楽ってか「それは音楽なのか?」含めて意味を成さなくなる。
それは自由な”演奏”なのか?って
 ↑
難しい話では無くて、
■「言語の制約から完全に自由になりたい」と思い立ち、
名詞も文法も無視して「動物のように嬌声あげるだけとか、ランダムに何の音か特定できない発音をランダムに発生させた場合」←言語ですらないじゃん(笑
結果(自分を含め)何も表現できない・何も伝えられないことが自由な言語とは言えない。
「言語の制約からの自由」→「これまでにない自由な言語表現で〇〇を表す」とかじゃん、
※「フリーJAZZのジレンマ」ってのは、昨今の前衛書道にもあってだな、、(半紙真っ黒とか)

本当の意味の(左翼では無い)リベラルってのは、
ある意味で保守主義なんだわ、
「 そ の 枠組み の 中 で」抗い表現されてこその自由だから、
「自由な水泳」→陸地で走りだしたらそれは水泳か?
時々ゴリゴリ保守派のみなさんがここ勘違いするけど、
リベラリズムとか世俗化の及ぶ範囲ってさ、
「マッチで着火するとこから伝統ですか、、そこはライターでも」←みたいなことだから
(現代なら「ネットがありますからメールでいんじゃないですか?」とかな)
 ↑
夫婦別姓云々も(個人的には”嫌なら事実婚でいいじゃん”と思う)、
文化伝統の寛容さってことなら「諱(いみな)、字(あざな)の復活からどうですか?」←これがサブカル展開だし、
●根本的には左翼と全然関係無いから
(てか「庇を貸して母屋を取られる」みたいなことなって迷惑してる:ちなみに独の緑の党もそうなんだよな、、、元はゴリゴリの保守党だった)

自由ってさ、抵抗をおしのける意志によって拡大されるもので(その意志が本体)、
無重力だとジャンプもできんだろうが、、(地球の重力を肯定するからスポーツの自由がある)
たとえば「もう、その慣習は十分でしょう」と自由度を拡大する説得だとか(そこは本編枠組みと矛盾してますよ)、その方便のことなんだわ(理論武装をもって行使される意志が自由の本体)
故に「枠組み存在へのリスペクトありきの話(本筋と矛盾したら意味を失う)」
どうにも(これまた勘違いして背乗りする左翼のせいなんだけど)保守派の方にこの辺を誤解されやすい。
リベラリズムの論議で話が上部構造(枠組み)にまで及ぶとか”よっぽどの事”であり、
まずそれは滅多に無いと思ってもいい。


posted by kagewari at 18:15 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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