(あー今回もR18指定になるので青少年は退出してくれ)
だって幼児の台詞にあるでしょ、
「ひとりでできるもん」
人類ヒト科の普遍的トラウマのひとつが「無力な幼児期の記憶」であり(自我の萌芽前なので整理された記憶として残っていない場合も多いが)、その時感じた生命の危機が親への依存なりそこを助けてもらった恩義なり以降様々な自我形成にも影響を与えるワケだが、
●同時に(正攻法ルートとしては)
人類ヒト科の謎の進化を回避し、生まれた瞬間からバリバリに歩けて、6歳にもなれば大人の生体としてガンガン野に出られるのが「生物の本能として正しい」ワケで、
そのまんま、調子に乗るという表現であってるかわからないが、
ちょっとできるようになったことがあると(自転車乗れるようになるとか)
「大丈夫、ひとりでできるから」←【出ますよね】
で、母親が「なんとかかんとかしてあげるからまちなさい」みたいなこと言えば→【怒るよね】
(そしてこの現象は親の視点から見ると「反抗」と映る)
■子供がなんでもかんでも”快感代謝”を親に依存している【なんてことは無く】
(場合によってかいいとこ見せたいってのもあるだろうが)
●特に個人的”快感代謝”事項(親に内緒でなんとかカード集めてるとかさ)が関係する時には、「ちょっとそれは何見せて」程度のことにでも「別にいいでしょ関係ないから」などのやりとりもある。
(※後の思春期における自慰行為や性行為と両親の関係《報告するバカいないだろ》にも繋がる)存外に子供はあざとく打算的だったり《子供と言えば嘘だよな》、戦術的に計算高い行動も取る(特に金が必要な場合)、
↑
ちょっと「善悪の彼岸」シリーズの話になるけどさ、
「オカシイとこあるぜ」と思わない?
不思議と権威(この場合親)も認める公式的”快感代謝”は善で、
(親にも内緒の)個人的快感は何故か”悪行”と刷り込まれることにもなるんだよ。
※それを突破するには、それなりの理論武装が必要になってくる
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