2021年06月25日

心理学はその現象を”どういうことなのか”説明するもので

心理学が分析している仕組みなり関係性は、
文明の進歩なり情報化なり社会の変動要因を背景に起きる個人(ミクロ)・社会(マクロ)などの間で(調整局面として)起きている摩擦を(或いは不均衡=均衡点まで移動中)現象として分析してる学問で、現状日本の大学などで人文系なのは言うほど間違いでは無いと思う。
個人=ミクロ、社会=マクロ、そのまんま経済学みたいなものです。
【極論ですが】それなりに均衡(安定)して回っている間は”誰も心理学に用が無い”

法人でも個人でも利害の対立がありますから(インセンティブに煽られている側面もあるんだが:有効需要論)安全保障のようにせめぎ合い均衡点で落ち着くなり荒れるなりする状況を観察し、その原理を分析しているって学問です(史学にも近いかも→もぎせか的に言えば史学を経済学みたいにやると地政学になるのかな)。

個人が心理学なりでゴリゴリやっている状況は、
時代との摩擦のようなもので(単純に時代は遅れてやってきますから→社会の変動はそこからさらに遅れる)「自我構造と社会構造の関係と変遷の歴史」なのかも知れない。
(社会学もマクロ心理学みたいなもんでしょ)
●大きな変化や伴う摩擦がある時(求めに応じるように)心理学の出番になる


<<<それこそ心理学の勃興を”どういうことか”と言えばさ>>>

■欧州にフロイト(1856年〜1939年)が登場した背景は、
産業革命による文明・社会の大変革であり、
WW1(1914年〜1918年)当初「戦争後遺症」「塹壕恐怖症」などと呼ばれた世界大戦を契機とするPTSDの発見など、
 ↓
個人自我構造の建付けと、社会構造の変化の間に「タイムラグによる大きな摩擦が各所に発生したから」と考えることができる。

●心理学のよくある話で「パラオの幸福論」「江戸時代の平和」じゃないけれども
文明なりの進歩が無く、社会構造変化の必要性も無く、
個人の自我構造との関係性も摩擦を発生させない状況では「自身のメンタルに問題意識を持つ状況(略して”メンタル問題”)」はほぼ発生しない。←心理学なんて考える人も登場しません(だって考える命題が無いのだから)。
 ↑
心理学は(片方が時代遅れになるなどで)組み合わせのギャップをさ、
「いやいやここがこうだから(そして今度こうなって均衡するだろう)」と説明するもので、
※「強迫心理」特有の現象に(発生時期が子供時代なので)あたかも時制のギャップ(世代間ギャップ)に近い特徴があるのも確か。
その時に背景となる社会はどういう状況で、どのような変遷にあるのかって事を抜きに語れない。
(時代背景の理解が無ければ、「強迫心理」生成時の根拠も読めないじゃん)

■なものだから、メンタル問題への対処の場面で目立つ心理学だけど、
心理学が先駆けとなっているものは→「その後社会現象として取り込まれていく課題」でもあるので、現状何も問題意識が無い人にも及ぶ話なのさ。
臨床が得意の造語で、名前を付けるような症例の分類があるってことは(個別現象というより)社会現象が個人に及び、症状と言う形で発現しているって話なので、現在取り立てて悩みの無い人に無関係ってことでは無い(安定期じゃなければ社会構造は動き続けるんだし)。

なワケで、変化に加速度ついてる先進国においては、登場場面も頻繁になってると思う。
だいたいがさ、昭和に「心療内科」なんて言葉をあんまし聞かなかったもの。
(いかんせん、フロイト心理学はその理解の条件が「自我の存立に依存関係の無い『単独者』であること」なので、《現状『単独者』の数は限られるから》臨床心理系に見られるような「歩留まり心理学」が、横行する形で観測されることとなるんだけど。←故に、下手打つと足引っ張る場合も出てくるが、この点も”心理学的にやむを得ない”んだよね《構造論的にそうならざるを得ないんだから》、困っちゃうんだけどさ。)


<<<つまるとこ>>>
今、メンタル問題抱えている人に対する心理学的分析は、
(どうだろ20年〜50年ってスパンで)心理学的見解に沿う方向で社会も変化していきますから、
【ド・直球の極論】で言えば、遅くても50年耐え続けると(心理学と接点無くても)、
社会の変化として類すること(心理分析に出てくるような話)を知ることになる。

(それが「個人の「強迫心理」ネタバレに及ぶのか?」については別論議だけど)
(※重要なことだけど、「強迫心理」の防衛は主として自分に関することに発動するため、社会現象として起きることには《自分としても第三者的になるので》防衛反応も”それほどでもない”からね。)

だーから心理学をオカルトみたいに面白がられると迷惑なんだわ、
(特にユング、、お前だ、お前、、「だってわからないものをオカルトで説明しちゃったら、科学の進歩が止まるじゃんよ」←これはシャーマニズムだものさ、、)

また勘違いしないで欲しいんだが、心理学は社会の先に起きることを【予想しているのでは無い】からね、単純に需要と供給の市場バランスみたいに(変動中ってことは均衡点に達していないのだから)「まずこの辺まではいくだろう」って見たままを分析しているだけで、どういう基準の何のグラフを見ればいいのかってのをフロイトが発見したって学問(で、それはある程度既に歴史にプルーフされており)。
後の研究とかってのは(既に理論は完成しているのだから)動向部分を見ての分析になる。
行為としては経済アナリストと「全く同じ」だよ(だから若干山師的なところはアル)。
(しかしインフレや金利の変動を、曼荼羅がだとかさ、集合無意識がとかで説明せんだろ?wだからといってオカルトはいかんよ、、いくらなんでも次元が違い過ぎる。)
そして基本はフロイトに始まりフロイトに終わっているので、以来随分経つけど心理学の世界に根本的な新理論とかはまず無いな。

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posted by kagewari at 22:27 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

リクエスト関連(かなでさん「勘違い」)

かなでさん
>ありがとうございます。住む世界が違う者同士だから疎遠になったということですね。私だって好きで障害者として生まれたわけじゃない。健常者として生まれたかった。もし彼女が歩留まりだったら親友としての関係は続いたんでしょうか?私が歩留まりだったら彼女と親友としての関係は続いたんでしょうか?

いえ違いますよ(住む世界は同じです「2021年地球の3次元」)

野球でじゃんけんでチーム分けしても「相手は敵です」(勝手にエラーなどして八百長されるとちっとも面白くない)
鬼を決めるじゃんけんした時も「逃げる側からみて鬼が敵です(誰かが隠れている場所を教えると鬼ごっこが壊れる)」
将棋盤で反対側に座ったら「目の前の人物が敵です」(将棋会館にきているのに、対戦相手の横に座られたら将棋になりません)

『共同幻想』というのは”組織を構成するための概念で”
そもそも組織というのは(前述括弧のとおりで)人類ヒト科に違いなど”あり得ない”ので、便宜的にというか無理でも何でも(じゃんけんでも座った場所でも)”立場の違いを強調することで敵と味方を分ける考え方のこと”で、
(排他性=組織性)「ハイ色の黒い人!」って掛け声を便宜的に発するとBLMという組織ができますが、これは「ハイ色の白い人は退場!」って排他性により成り立っているんです。

個人の個性化と原理としては同じ、
組織の個性化を図るんですから(組織で自他の区別を付けるってことは:敵を作るという意味)
(自民党と共産党が相手を敵と認定しない場合《大政翼賛会》保守や、革新という各団体の個性は失われ、存在意義すら消滅して”カオス”になるだけ。=組織防衛の反対)

●「個人戦で」を選んだ場合と
●「団体戦で」を選んだ場合とでは、
その後の自我の成り立ちが違ってくるのであり、
(進学時に「理系で」「文系で」「体育会系で」、、、、などなど分岐するのと同じ)

>健常者として生まれたかった。
 ↑
いえいえ、そもそも(確認していませんから)
彼女が好きで現状(既に少数派の)『共同幻想』適応人生を生きているのかわかりません
(『共同幻想』=「ブラック企業」ですから、いわば時代の貧乏くじなワケで)
●また、進路の分岐は自由に選べます、
(ですから彼女の今後も《確認していないので》わかりません)

つまりかなでさんは「未選択者だ」ということです
対して彼女は、加齢に呼応し”大人の事情の自我選択”へシフトしたが(ベタに言えば性行為限定解除のアップデート《その関心を同性から異性へのシフト》)、それが偶然《彼女のおおまかな性対象選択が》『共同幻想』適応系だったということ
(未選択な段階でも、前述の論理から『共同幻想』プレーヤーから見れば自動的に敵です←結果論としては左記に転じたと:繰り返しになりますが彼女に話を聞いてませんので、どういう経緯で現状なのかは”わかりません”)


>もし彼女が歩留まりだったら親友としての関係は続いたんでしょうか?私が歩留まりだったら彼女と親友としての関係は続いたんでしょうか?
 ↑
この場合は「括弧付きの親友(=親友ゴッコ)」になりますが、
同じ分類を選択すれば、それは「鬼ごっこで同じサイド」になることになります。
(彼女は少なくとも、オンザレール『共同幻想』適応か「歩留まり」のいずれかになりますので、あなたが”保守思想再選択者”になるか「歩留まり」適応を選択すれば、同チームになります。)

真な意味の親友であり続けることは「簡単」で(昨日返信に説明したとおり)、
あなたが「アイツの立場もわかる」と言えばいいだけです。
(今この瞬間から親友同士を継続可能:親友ごっこ的なプレイを継続できないだけ)

→続きを読む

posted by kagewari at 10:20 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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