2021年06月29日

『共同幻想』社会の素朴な解説(その発生から崩れに至るまで)

正直古代ギリシャ文明の時どうだったのかは”よくわからない”
ただ、文明の系譜的には(都市化や階級・階層社会などの始まりでもある)最初がどこかそういう意味では無く、『共同幻想』始まりの代表的モデルはギリシャ文明からかなと思う。

割と簡単で、
「土地や財産の所有者=高価な武具を持てる(財産を守れる)」=要塞都市の市民
その都市の周囲に城下町のように暮らす人がいて、後に上記の事実上の人類史に貴族階級の登場みたいなさ、彼らと少し大きな国的な概念を共有した(都市国家)。
欧米のノブリスオブリージュ的な要素のひとつに、貴族や王族は必ず軍役を果たし戦争にいける状態であることってのは、「だってそもそも貴族の始まりは、武装し戦える特権階級意味していた」のだから、当たり前の話な。

日本の武士階級、城下町、農民とかの関係も”ほぼ類似している”よね、
(皇族はシャーマンとか神官に近い階級なので『共同幻想』権力構造の外にあるため、『共同幻想』崩壊で武士階級は同時に消滅したが、皇族は残ったのさ。)
●つまり「『共同幻想』社会とは、権力構造の1単位である」←と考えていいと思う
勿論発生理由は「安全保障」です(戦うことを前提としている)
全体構造はこんな感じ(最上位が国家です)
<『共同幻想』上部構造<『共同幻想』政府<『共同幻想』一般社会<『共同幻想』法人社会<『共同幻想』”家幻想”<『共同幻想』友人関係/>/>/>/>/>/>←”入れ子”ピラミッド構造

現在の日本人にも体感的に想像が及ぶのは、せいぜいが「江戸〜」だと思うので、
そこだけ抑えておくと(わからないこと多すぎるので勿論推論だらけにもなるが)、
江戸期のどこいらへんを指すのかわからないんだが、豊作続きの成長期があったのね。
(天下泰平と天候環境による自然成長です)
はじめて庶民の住宅にも畳が敷かれるようになり(なので大河ドラマ戦国ものは板張り床にゴザクッションたいなとこに座ってるワケ)、寿命も40歳超えるんだったかな?
(戦国は30歳いくかいかないかという説がある)
はじめて健康という概念がうまれ(当時の言葉は”養生”)今でいう健康マニュアル本みたいなんがバカ売れする(養生訓ってのかな)、
※この時代の平均寿命の足引っ張ってるのは「著しく出生・新生時の死亡例が多いため」なので、成人までいけば60歳ぐらいは生きた。豊かだったと言われる江戸中期は明治大正より成人以降寿命は長く、江戸中期がよっぽど豊かだったことがわかる。
 ↑
ハイ、まずここまで読んでいただけるとわかると思うけど、
30越えて生きるのが常識化する以前の戦国時代の世相と言えばさ、
生き死にがもっと身近で老後とかさっぱり眼中にも無いことになる。
→信長の歌も「人生50年」
(武士階級の”死狂い”なんて概念が可能なのも、自然な状態でも結構死ぬからってもあるのかな)
●ま話は戻って、豊かな時代私有財産だけでなくインセンティブにも余裕あるよね
なんとか城の何家のお殿様に任せておけば、大丈夫
(他国から攻められることも無く・しっかり民は食える・お祭りインセンティブもある)
「俺は何々うまれの、何々男子」(私は何々生まれの、何々乙女)←これが(米国におけるグリーンカードみたいなものだと思ってくれ)自らの生存を保証するワケだよ(江戸時代の庶民の暮らしが約束される)

何々男子の>誰平の息子の>誰夫←欧米やイスラム圏だとそのまま「名字(姓)・宗教名・名前」を意味する土地もあると思う。
 ↓
現代でも、「何々さ〜ん」と名字(姓)で呼ばれるじゃん(特に日本は”家幻想”だから)
これは「個人を特定する名前の上部構造に、名字で名乗る(ファミリーネーム)”何々家の者”という共有自我が存在することを意味していて、=”家幻想”としての『共同幻想』」なのさ、
 ↓
ハイ、そして『共同幻想』とは何かを守り戦う組織や権力ですから、
”家幻想”の場合は?「家督」です(何代目の襲名:←これが”跡目襲名結婚式”の意味です=家の跡目を継がない次男坊以降は、本来公式的な結婚もしなければ結婚式も無いってのが原則としては正しいかな《そもそも結婚式って跡目の襲名披露式だから》、)
「家のために戦う」=”家幻想”
(道徳とは、基本その組織権力の内規の事)

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posted by kagewari at 09:56 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月28日

小説でも漫画でも映画でもアニメでも人形でも「実在する人物との違いはそれほど無いぞ」

創作物がフェイクだと言うなら、
演出されたタレント像は何なんだ(本人は全く別の人格だぞ)
また、映画で感動し「ロッキーみたいになりたい」とボクシング始めた人とても多いけど(南米や欧州なら「キャプテン翼」とサッカー)、歴史上の人物(司馬が相当盛って書いた坂本龍馬とか)に影響を受けるのと論理的には全く違いが無い(歴史上の人物の真実がどこまでなのかなんて誰も知らん)
※寺山修司が力石徹の葬式やったのも昭和を代表するエピソードだと思う

つまり、アイドルタレントを追っかけていたり、歴女が戦国武士ゆかりの土地を訪れたり、漫画やラノベに登場するキャラに惹かれるのは「同じ行為」であり、
極論すれば(あくまで【極論】だよ)
現実に存在する人物と婚姻関係結んだりする行為とも”大きな違いは無い”
(相手がどこまでキャラを造っているのかなど、誰にもわからない)

実際の話、現実社会に存在する人達への理解ってのは、
(認識からして網膜に移った二次元映像を電気信号に変えて脳内プロジェクターで上映しているんだが)当事者としての「自分の理解や信頼や推定によるもので」、
いや、そもそも人類ヒト科ってものは(科学的にも何なのか証明のできていない)『自意識』が「俺は俺」と認識している部分もあるが、深層心理に至る自分の自我の全てを認識できることは【無い】。
これも極論だが、自分自身が何者かの認識もおぼつかないワケでさ(笑
(※ほら、「ビックマウス」みたいに、自分で自分を暗示かけて造った人格を演じる生き様だってあるでしょ。俳優さんの役作りなんてのもそういう作業だと思うし。→つまりリアリズムの担保された名演技の人物は《俳優が誰かを離れ》個別に実存する。)

タイトルに”人形”ってのも含まれているが、
(押井の『「GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊」』押してるワケじゃないけどさ)
「お菊人形のオカルトネタ」じゃなくて、、、、
神社などが主催するなんとか供養みたいなので祭ったりするじゃん。
(どうしても大事にしていたぬいぐるみをむげに処分できないとか)
「自分の理解や信頼や推定によるもので」→あなたがそこに人格を定義しているのであれば”それはこの世に実存してる”んだわ(前段説明の話と同じさ)
 ↑
うーん正確に言うと(これを正確って表現していいのかわからないんだけど)
「実際に存在している他者を認識している状況との違いを証明できない。」

繰り返しになっちゃうけど、自分の生存すら「どこかの宇宙の量子コンピューターのシミュレーションかも知れない件をだれも否定できない」のだから(現在の科学では)。
■現実世界も夢の中って言えば、夢の中かもしれないワケで、
(※これがまた、パラレルワールドかってぐらいに時々夢と現実の区別がつかない人間なもので、、、目が覚めてから「ヤバっあの仕事やっておかないと」とPCの前で、「あ、あっちの世界の話だった」と気が付く相当にいっちゃってる人間なもので、、、脳内シミュ機能有能杉ダロ、、)

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posted by kagewari at 17:41 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月27日

『単独者』の雑感「心底どうでもいい話”polymer cartridge”米軍正式採用か」

※カテゴリ「『単独者』の雑感」は「中立過ぎもどうか」と意図的に『単独者』視点で語る時事ネタなので、心理学の興味だけでブログを閲覧している方はスルーで。
(仰々しいものでも無いので「『自営業』の雑感」ぐらいの意味で読んでくれ、、)


ポリマーカートリッジって言えば「プラスチックの薬莢です」
時期米軍自動小銃コンペにおいて採用が噂されている6.8mm弾の”polymer cartridge”
ハイ、このようなものです
True Velocity Ammo: 6.8 TVCM Composite-Cased Ammo
https://youtu.be/UvjbeSum2nU


特徴は現在の真鍮薬莢に比べ25%軽量であること、
どうしてそうなるのか未だにピンとこないのですが、
(熱伝導の関係だと思います)
使用後の薬莢自体も熱くならず、銃の温度上昇を抑えてくれることです。
(フルオートでの使用も多くなる軍用の場合これは凄くデカイ意味を持ちます)

勿論大量生産に至っていませんから、現在は大変高価らしいのですが、
この商品が一般化するかと言うと、まだなんともですね。
米国人のガンマニア達は通常ファクトリーロードを撃ちません。
値段が高いってことだけでなく、銃が痛まないようにパウダー少なめの弱装弾を自分でリロードして撃つものなんです。
(シューティングレンジで、新品の箱開けて装弾する人が決して多数派でも無い。←廉価な22LRとかは別ですけど、)
でね、このプラスチックカートリッジって、簡単にリロードできるんだろうか?と、
(再利用は可能と聞きますが、どういう工程の再利用の事なのか不明)

ま、そんなことはともかく(笑
軍用という意味でもコンシューマー用でも携行重量は少しでも軽い方が負担も少なく、
なんといってもこれまで以上の弾数を持てます。
更に(M16系のような手元の振動が気になる)軽量自動小銃の場合、排莢による慣性の影響もバカにならなかったと思うんです。
これひょっとして「リコイルも軽くなるのかな」ってとこが最大の関心事項ですね。

●前述括弧の「22LRは例外」ってどういう意味かって、
リロードするとかぶっちゃけめんどくさいじゃないですか、
特にオートなんてパウダー減らし過ぎるとジャムするし、
だものだからプリンカーは(気軽に射撃を楽しむ人)、22口径買ってパンパン撃つとかあるんです。
妙な大口径で自慢げとか、案外軽蔑されており(何をカッコつけてんだみたいに)、
しかも44Mgなんて音が半端ないからイヤーマフしてるレンジ内でも近所迷惑なんです(笑
(どんな感じって、近所にカミナリ落ちた時にそっくり)

そしてプラスチックカートリッジ、、、
合わせ技で考えると、「ますます日本の玩具であるエアーソフトガンに近づいてる」
(パカパカ撃つのが楽ってなら、22LRよりBB弾だろ)
事実、確か米国では日本のエアーソフトガンは銃砲店で販売しており、
感覚実銃みたいなものなんですよね。
軍が演習時に使用することもあるみたいで、
(だってパワーに差があるだけで、弾打てるなら銃には違いが無い)

法的縛りがあるから、限界の中で苦労を重ね辿り着いた技術ですが、
だからこそガンコントロールの中でも入手できる(誰も殺さぬ)銃となったのであり、
日本文化らしい”オカシナ商品”なのだと思います。
この制限の中で(使用する素材の強度に制限がある)”異様に玩具のリアリズムに拘る”って、勿論世界に日本人だけで(海外から見ればド・変態)、
あまり知られていませんが、日本のモデルガンやエアーソフトガンはとっても優れもので、
「やっぱサブカル大国だわ」としみじみ思うのだった。





posted by kagewari at 16:29 | 『単独者』の雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月26日

『単独者』の雑感「どこにでもいる『BAND-MAID』ファンの雑文です」

※カテゴリ「『単独者』の雑感」は「中立過ぎもどうか」と意図的に『単独者』視点で語る時事ネタなので、心理学の興味だけでブログを閲覧している方はスルーで。
(仰々しいものでも無いので「『自営業』の雑感」ぐらいの意味で読んでくれ、、)


俺はJAZZ語るにしても言うほど詳しいということはなく(せいぜいが17年間毎日のようにJAZZ喫茶に通ったことがある程度)あくまでファンの1意見ってことだけど、
JAZZの醍醐味はインプロバイゼーション(ソロパート即興演奏)にあると同時に、
その意外性はテーマパート(ロックで言えばメインリフ)にいかに戻れるのか(着陸できるのか)でもある。「着陸できずにどこまーでもコードを外れていくならバカでもできる」っつか、それは終わりの無いフリーJAZZパートが始まっただけになってしまいます。
※決して嫌いでは無いが界隈で相当有名どころのJAZZピアニストに対して「戻らなかったら凄いと言えないじゃん(=ソロパートから別のフリーJAZZ曲が始まっただけになってしまう)」と思うこともある。

でだ、
ロック界隈と言えば、日本の転調を繰り返すポップスを”プログレだ”と気にいって日本に移住してしまった「元メガデスのギタリスト、マーティ・フリードマン氏がいるが」、
ざっとポップス、ロックの楽曲構造は
「イントロ、Aメロ(1番)、Bメロ(2番)、Cメロ(サビや間奏乃至3番)、Dメロ(3番乃至大サビ)」
 ↑
だと思うけど、フルコーラス聴いてさ典型的に(あー手抜きだねと)ガッカリするのが、
Cパートで伴奏コードがそのままカラオケみたいに流れボーカル部分をギターなり主力楽器で演奏しただけって奴、
(CMや主題歌に使うのはAメロまでが通常なので、全曲聴かれる前提で作って無い)

●逆にこれは!ってなるのはCパートのサビで予想外の展開し(主として大スケール化)、
Aメロと同じ流れをベースにスケール大きくしたDメロに見事な着陸する楽曲となる。
 ↑
そう、日本では(ちょっとJAZZの楽しみ方と似ていることに注目)
あてずっぽうの解釈だけどさ、マーティーが驚いたのはそこだと思うのね。
欧米のロックだと、日本のダサいCパートみたいな短めのリフレインを入れ(ブレイクダウン)主力楽器ギターなどのソロかボーカルの意味不明絶叫を挟んだ後に、Aメロとほぼ同じDメロで終わっちゃうパターンが多い。
Cパートで「なんじゃこの転調ー」ってのはあんましやらないのだよ。
(これを俺は勝手にJAZZっぽさと定義しよう)

『BAND-MAID』の楽曲構造が異色なのは、
(全部が全部じゃないが)
イントロを分離しない「イントロを含むAメロがひとつのパートとなる」
「Aメロ、Bメロ、締めのDメロが全部微妙に違う」「ボーカルパートを無視し(後述末尾のベースと被せると同じ原理)ボーカルに被せてリードギターが別のメロディを弾いている(なのでBAND-MAID楽曲はボーカル抜きのインストでも完結するように作られている)」
特に顕著なのは「ボーカルメロディは同じなのに、バックの演奏がAメロとBメロで”全く違う”」と言う芸当であり(別の曲かというほど変化させるケースもある「これで歌唱できるSAIKI嬢も凄い」)、
トンデモ展開のCパートに突入(変調だけでなくリズムも変える、AメロBメロの違いにもリズムまで変化させることがある)、
どうやってDメロに着陸できるのはわからないほど大展開し、
ハラハラドキドキするなかで、「その手があったのか」なフィルインから、バッチリC展開を踏まえ大スケール化したDメロに戻る「こう戻るんかい!」
(実にJAZZっぽいワケだ、逆説的に言うと日本ロックだからできる芸当である)


ウエストコーストJAZZになるけど、
いってもどってくる感の強い曲の典型として「Dave Brubeck - Take Five」
(肝心のピアノ、ブルーベックは《トテットテッと繰り返すだけで》何もしてないじゃんって曲で、作曲もサックスのユダヤ人ポール・デスモンドです。あくまで個人的意見だが本場イーストコーストJAZZ勃興の背景にもNYのユダヤ人が関係していたのだろうと思っている)
Dave Brubeck - Take Five
https://youtu.be/vmDDOFXSgAs


聴衆に聴きなれたメインテーマに戻るのを”今か今かと待たせて”からの、
待ってましたと、戻ってきましたよーと展開する楽曲です。
気持ち大サビでドラムのシンバルがAメロより華やかになっている
(リズム隊などのフリーパートは典型を意識してワザと単調なのではないかと思う)
「JAZZの聴きどころはフリーの即興だろ」←勿論なんだけど、今回はそこの話じゃないからw
(しかしそこへの耽溺が過ぎると誰もついてこれないか、、、←いやいやこの話じゃない)

●ネタバレすると、コンポーザーのギターKANAMI氏は
子供時代のカルロスサンタナの影響を受けているって話は周知の事実だが、
先日、JAZZピアニストの雄チック・コリアが亡くなった時に(追悼文では無いが)
Twitterにコメントを残しているんだよね(コイツJAZZ聴いてる、しかもラテンJAZZ、、、ちなみに俺はチック・コリア先生はあんまり、、)、

ちなみにカルロスサンタナといえばブラック・マジック・ウーマン
(更にちなみに言うとこの曲作ったの「フリートウッド・マックのピーター・グリーンなんだよ」俺はフリートウッド・マックが大好きでさ、、、そんなことはともかく)
Santana - Black Magic Woman - 8/18/1970 - Tanglewood (Official)
https://youtu.be/axbtig7w7a8


こちらが本家Fleetwood Mac
Fleetwood Mac Peter Green - Black Magic Woman (Live Boston Tea Party) 1970
https://youtu.be/hRu7Pt42x6Y


でさ、JAZZと抒情的なラテンってのは最強であり(キース・ジャレット)
『BAND-MAID』の楽曲が時にファンキーと呼ばれるのは、リズム隊のMISA氏が頻繁にスラップ奏法するだけでなく、
「ギターとベースが同時に別のフレーズを演奏してひとつのメロディに聞こえる」というキワモノのような作曲を特徴としており(ベースパート作曲は完全にMISA氏に任せている)
フリーにやってるワケじゃないけど、あかたも各パートのソロを織り込むJAZZの構造似ている。
更にリズム隊で忘れてはいけない【重要なポイント】があって(これも全部が全部では無いが)
ボーカルがパンチを効かせるインパクトのある歌詞の1音に、AKANE氏がキックドラム(バスドラ)を重ねており、その1音だけ声の爆発音を強調するんだが、これは発音が1音づつ切れる日本語歌詞だからやれる曲芸なのではないか(この手法は海外のミュージシャンリアクターも気がついていない)。
 ↑
末尾のこれは、JAZZなどにおける管楽器のパッパパーの最後のパーの(シンコペーション強調)とこにバスドラ合わせてドーンってあるでしょ、アレですアレ、
(ロックにおけるボーカルはJAZZだと管楽器パートだからね)

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posted by kagewari at 19:47 | 『単独者』の雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月25日

心理学はその現象を”どういうことなのか”説明するもので

心理学が分析している仕組みなり関係性は、
文明の進歩なり情報化なり社会の変動要因を背景に起きる個人(ミクロ)・社会(マクロ)などの間で(調整局面として)起きている摩擦を(或いは不均衡=均衡点まで移動中)現象として分析してる学問で、現状日本の大学などで人文系なのは言うほど間違いでは無いと思う。
個人=ミクロ、社会=マクロ、そのまんま経済学みたいなものです。
【極論ですが】それなりに均衡(安定)して回っている間は”誰も心理学に用が無い”

法人でも個人でも利害の対立がありますから(インセンティブに煽られている側面もあるんだが:有効需要論)安全保障のようにせめぎ合い均衡点で落ち着くなり荒れるなりする状況を観察し、その原理を分析しているって学問です(史学にも近いかも→もぎせか的に言えば史学を経済学みたいにやると地政学になるのかな)。

個人が心理学なりでゴリゴリやっている状況は、
時代との摩擦のようなもので(単純に時代は遅れてやってきますから→社会の変動はそこからさらに遅れる)「自我構造と社会構造の関係と変遷の歴史」なのかも知れない。
(社会学もマクロ心理学みたいなもんでしょ)
●大きな変化や伴う摩擦がある時(求めに応じるように)心理学の出番になる


<<<それこそ心理学の勃興を”どういうことか”と言えばさ>>>

■欧州にフロイト(1856年〜1939年)が登場した背景は、
産業革命による文明・社会の大変革であり、
WW1(1914年〜1918年)当初「戦争後遺症」「塹壕恐怖症」などと呼ばれた世界大戦を契機とするPTSDの発見など、
 ↓
個人自我構造の建付けと、社会構造の変化の間に「タイムラグによる大きな摩擦が各所に発生したから」と考えることができる。

●心理学のよくある話で「パラオの幸福論」「江戸時代の平和」じゃないけれども
文明なりの進歩が無く、社会構造変化の必要性も無く、
個人の自我構造との関係性も摩擦を発生させない状況では「自身のメンタルに問題意識を持つ状況(略して”メンタル問題”)」はほぼ発生しない。←心理学なんて考える人も登場しません(だって考える命題が無いのだから)。
 ↑
心理学は(片方が時代遅れになるなどで)組み合わせのギャップをさ、
「いやいやここがこうだから(そして今度こうなって均衡するだろう)」と説明するもので、
※「強迫心理」特有の現象に(発生時期が子供時代なので)あたかも時制のギャップ(世代間ギャップ)に近い特徴があるのも確か。
その時に背景となる社会はどういう状況で、どのような変遷にあるのかって事を抜きに語れない。
(時代背景の理解が無ければ、「強迫心理」生成時の根拠も読めないじゃん)

■なものだから、メンタル問題への対処の場面で目立つ心理学だけど、
心理学が先駆けとなっているものは→「その後社会現象として取り込まれていく課題」でもあるので、現状何も問題意識が無い人にも及ぶ話なのさ。
臨床が得意の造語で、名前を付けるような症例の分類があるってことは(個別現象というより)社会現象が個人に及び、症状と言う形で発現しているって話なので、現在取り立てて悩みの無い人に無関係ってことでは無い(安定期じゃなければ社会構造は動き続けるんだし)。

なワケで、変化に加速度ついてる先進国においては、登場場面も頻繁になってると思う。
だいたいがさ、昭和に「心療内科」なんて言葉をあんまし聞かなかったもの。
(いかんせん、フロイト心理学はその理解の条件が「自我の存立に依存関係の無い『単独者』であること」なので、《現状『単独者』の数は限られるから》臨床心理系に見られるような「歩留まり心理学」が、横行する形で観測されることとなるんだけど。←故に、下手打つと足引っ張る場合も出てくるが、この点も”心理学的にやむを得ない”んだよね《構造論的にそうならざるを得ないんだから》、困っちゃうんだけどさ。)


<<<つまるとこ>>>
今、メンタル問題抱えている人に対する心理学的分析は、
(どうだろ20年〜50年ってスパンで)心理学的見解に沿う方向で社会も変化していきますから、
【ド・直球の極論】で言えば、遅くても50年耐え続けると(心理学と接点無くても)、
社会の変化として類すること(心理分析に出てくるような話)を知ることになる。

(それが「個人の「強迫心理」ネタバレに及ぶのか?」については別論議だけど)
(※重要なことだけど、「強迫心理」の防衛は主として自分に関することに発動するため、社会現象として起きることには《自分としても第三者的になるので》防衛反応も”それほどでもない”からね。)

だーから心理学をオカルトみたいに面白がられると迷惑なんだわ、
(特にユング、、お前だ、お前、、「だってわからないものをオカルトで説明しちゃったら、科学の進歩が止まるじゃんよ」←これはシャーマニズムだものさ、、)

また勘違いしないで欲しいんだが、心理学は社会の先に起きることを【予想しているのでは無い】からね、単純に需要と供給の市場バランスみたいに(変動中ってことは均衡点に達していないのだから)「まずこの辺まではいくだろう」って見たままを分析しているだけで、どういう基準の何のグラフを見ればいいのかってのをフロイトが発見したって学問(で、それはある程度既に歴史にプルーフされており)。
後の研究とかってのは(既に理論は完成しているのだから)動向部分を見ての分析になる。
行為としては経済アナリストと「全く同じ」だよ(だから若干山師的なところはアル)。
(しかしインフレや金利の変動を、曼荼羅がだとかさ、集合無意識がとかで説明せんだろ?wだからといってオカルトはいかんよ、、いくらなんでも次元が違い過ぎる。)
そして基本はフロイトに始まりフロイトに終わっているので、以来随分経つけど心理学の世界に根本的な新理論とかはまず無いな。

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posted by kagewari at 22:27 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

リクエスト関連(かなでさん「勘違い」)

かなでさん
>ありがとうございます。住む世界が違う者同士だから疎遠になったということですね。私だって好きで障害者として生まれたわけじゃない。健常者として生まれたかった。もし彼女が歩留まりだったら親友としての関係は続いたんでしょうか?私が歩留まりだったら彼女と親友としての関係は続いたんでしょうか?

いえ違いますよ(住む世界は同じです「2021年地球の3次元」)

野球でじゃんけんでチーム分けしても「相手は敵です」(勝手にエラーなどして八百長されるとちっとも面白くない)
鬼を決めるじゃんけんした時も「逃げる側からみて鬼が敵です(誰かが隠れている場所を教えると鬼ごっこが壊れる)」
将棋盤で反対側に座ったら「目の前の人物が敵です」(将棋会館にきているのに、対戦相手の横に座られたら将棋になりません)

『共同幻想』というのは”組織を構成するための概念で”
そもそも組織というのは(前述括弧のとおりで)人類ヒト科に違いなど”あり得ない”ので、便宜的にというか無理でも何でも(じゃんけんでも座った場所でも)”立場の違いを強調することで敵と味方を分ける考え方のこと”で、
(排他性=組織性)「ハイ色の黒い人!」って掛け声を便宜的に発するとBLMという組織ができますが、これは「ハイ色の白い人は退場!」って排他性により成り立っているんです。

個人の個性化と原理としては同じ、
組織の個性化を図るんですから(組織で自他の区別を付けるってことは:敵を作るという意味)
(自民党と共産党が相手を敵と認定しない場合《大政翼賛会》保守や、革新という各団体の個性は失われ、存在意義すら消滅して”カオス”になるだけ。=組織防衛の反対)

●「個人戦で」を選んだ場合と
●「団体戦で」を選んだ場合とでは、
その後の自我の成り立ちが違ってくるのであり、
(進学時に「理系で」「文系で」「体育会系で」、、、、などなど分岐するのと同じ)

>健常者として生まれたかった。
 ↑
いえいえ、そもそも(確認していませんから)
彼女が好きで現状(既に少数派の)『共同幻想』適応人生を生きているのかわかりません
(『共同幻想』=「ブラック企業」ですから、いわば時代の貧乏くじなワケで)
●また、進路の分岐は自由に選べます、
(ですから彼女の今後も《確認していないので》わかりません)

つまりかなでさんは「未選択者だ」ということです
対して彼女は、加齢に呼応し”大人の事情の自我選択”へシフトしたが(ベタに言えば性行為限定解除のアップデート《その関心を同性から異性へのシフト》)、それが偶然《彼女のおおまかな性対象選択が》『共同幻想』適応系だったということ
(未選択な段階でも、前述の論理から『共同幻想』プレーヤーから見れば自動的に敵です←結果論としては左記に転じたと:繰り返しになりますが彼女に話を聞いてませんので、どういう経緯で現状なのかは”わかりません”)


>もし彼女が歩留まりだったら親友としての関係は続いたんでしょうか?私が歩留まりだったら彼女と親友としての関係は続いたんでしょうか?
 ↑
この場合は「括弧付きの親友(=親友ゴッコ)」になりますが、
同じ分類を選択すれば、それは「鬼ごっこで同じサイド」になることになります。
(彼女は少なくとも、オンザレール『共同幻想』適応か「歩留まり」のいずれかになりますので、あなたが”保守思想再選択者”になるか「歩留まり」適応を選択すれば、同チームになります。)

真な意味の親友であり続けることは「簡単」で(昨日返信に説明したとおり)、
あなたが「アイツの立場もわかる」と言えばいいだけです。
(今この瞬間から親友同士を継続可能:親友ごっこ的なプレイを継続できないだけ)

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posted by kagewari at 10:20 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月24日

リクエスト関連(かなでさん「親友」)

かなでさん
>アスペルガーの診断を受けてる者です。幼馴染だった親友に話したら「何があってもあんたの味方だからね」と言ってくれました。実際に私が学校で孤立してた時も彼女だけは私に普通に接してくれたり、困った時には助け合ったりしてました。しかし親友の旦那さんが「アスペは犯罪者予備軍だ。そうでなくても人間的におかしな奴が多い」との考えで親友には私と関わらない言い、疎遠になりました。親友だと思ってたのは私だけだったのでしょうか?私には前科はないけど親友が離れるだけの原因があったのでしょうか?

<これあえて(わかりやすくする意味で)乱暴な表現使いますが>
 ↓
今時何の疑問も無く結婚などするような人は、少なからずと言うか『共同幻想』適応人格を選択した人物です。
●どういう意味かって個人の一存では人生を選べないんです。
(自我を他者と共有してますから:「個人で存在しておらず、共有自我に接続している端末」)
(彼女の場合、亭主と私の二人で一人《家族法人人格》ですから、この段階で自由に個人の意見を行ける立場にありません。)

すっごくベタな事例で言えば、
「金に困っているから助けてくれ」って時に、会社の金にまで手を付けて助けてくれるかってまずありませんよね(この状況で「会社と私とどちらが大事」ってパラドックスみたいなこと言うのはズルいんです)。
 ↓
だって、無職の世捨て人”犯罪上等”の友人がいるとして
彼は躊躇なく盗みに入ってでも(上がりが幾らになるかわからんけど)頑張ってくれるでしょう。
しかし、後者こそ親友で前者は偽物だってことになりますか?

■確かに原則論で言えば(これも強調表現説明になりますが)
『共同幻想』適応人格(所謂一般人的人格)には、親友って無理です。
(誰に対しても、→『共同幻想』適応の”共有し体現するべき立場があるため”→上位となる公的自分と、それ以下の《風呂とトイレの中だけの》私的自分を使い分ける人格のこと。)

『共同幻想』適応人格(所謂一般人的人格)にとっての親友とは「括弧付の親友」であり、
何の括弧かって、
「同じ『共同幻想』構成員同士の関係であること」です、
(※間違っても非適応個性派とは親友は無理です。←その個性は私の所属する組織の論理と矛盾してしまう局面が必ず起きるからです。)
 ↑
この状態で「裏切りだ」って話になれば続かないでしょ?

ある意味(ある意味ですよ→そうすべきとか、そうあるべきって話では無く)
かなでさんが彼女の親友なら
「お前の立場もわかる」って言ってあげればよいのです。

何かよいって、彼女を親友としてあなたが守ってあげることができるからです。

→続きを読む

posted by kagewari at 20:01 | リクエスト関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月23日

素朴な勘違い「コンプレックスの解消とは→コンプレックスが解消することである」(2)

<前記事から肝心なところ引用>

コンプレックスってのは(もうねそのネタが本当なのかどうかも怪しいってのに)
「かくかくしかじかだから、もうダメなんだだ!!!」←みたいな心理のこと
■■■【コンプレックスの本体は、実は結論の方なんだよ】■■■
 ↓
「もうダメなんだ!!!」的なことがまず言いたいワケ、
前段のネタは(やれ容姿がとか体重ガーとか貧乏ガーなどなど)、
結論が言いたいがための方便です。
(ぶっちゃけコンプレックスネタなんて”なんでもいいの”)

ということなんだわ、
でね、
「何故そんなことをするのかって話でしょ」

■はい、ちょっと前の記事を思い出してください
『共同幻想』とは「道徳」という上部構想で『自意識』を抑圧し、
(どうしろあーしろと)概念を導入する。
「強迫心理」とは「コンプレックス」により『自意識』を抑圧し、
(どうしたこうしたと)概念を導入する。
 ↓
コンプレックスとは「強迫心理」にとって道徳のようなものである。

典型例をあげるとさ、
子供時代などに”どうしてなのかよくわからないまま”自分ばかり叱られると思ったとする、
(不安ですよね?育児放棄一発で命失う子供にとって危機的命題です)
大人の事情はわかりませんので、なんというか”原因なるものを思いつくしかない”
「私が可愛くないからだ」←ハイ、これが「強迫心理」です、
うんで、「自分がブスであることにコンプレックスを持つ」ことで上記は機能します。
 ↑
ちょっと意味わからない人は、以下と相対して理解してくれ

『共同幻想』とは「道徳」という上部構想で『自意識』を抑圧し、
(どうしろあーしろと)概念を導入する。
「常識」とは「権威性」などを根拠に『自意識』を制し、
(こういうものだと)概念を導入する。
「強迫心理」とは「コンプレックス」により『自意識』を抑圧し、
(どうしたこうしたと)概念を導入する。

●一度「強迫心理構造のワンピースとなったコンプレックスは、自らの道徳を守るかのように保守(防衛)の対象となる」→何故ならコンプレックスの否定は、発端の”なにかわからないことへの危機的命題不安を再発”させてしまうから。
 ↑
それこそ無意識に、気が付いたら必死になってコンプレックスを守ろうとしてるんです。
周囲が何と言おうが、
「私は絶対ブスだ」と言い張り、
「そんなこと無いよ」と言ってくれる
(明らかにもっとブスな子に対して)
「どうしてそんな酷いことを言うのか」と激怒したり号泣したりの”トンデモ劇場”になったりします。

だ か ら

■まず一義的にさ
「コンプレックスとして認識されてる時点で”それ(程度の問題として)フェイク”だから」
(少なくとも世界でそこを一番気にしているのは御当人)
 ↑
これが結論です、




posted by kagewari at 04:16 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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