■歴史的にも『共同幻想』崩壊は説明のしやすい話で
古代文明の栄枯盛衰にも関係していると思われる。
そもそも”何々王時代”だとか”何々家による統治”など、栄華を誇る文明には必ず『共同幻想』社会が形成されます(これないと”何々人”だとか”何々族”などとして語られるキャラクターが無いことになりますから)。
何故って『共同幻想』の始まりは”安全保障”であるとか”豊かな土地や港湾の覇権”にあるのであって、軍隊を組織する上でも旗頭となる『共同幻想』無しにまとまりようがありません。
古代から近代において(現代的な民主制や代議員制が発見されるまで)『共同幻想』抜きに社会などというものは成立しません(そもそも公用語が定まらないと言葉が通じないww)。
<見方を変えれば、現代の民主政治とは「歩留まり」合理性を担保とする「時限的『共同幻想』を”政治と呼んでいる”(最初から時限性なので幻想性は無く、自分で”今はそういう都合だから”とネタバレした上で)社会契約的なもの」:そういう意味では社会契約説も『共同幻想』が一部崩壊したことによる世俗化(歩留まり化)した状態と言うこともできるでしょう。>
●勿論、大帝国や王国とまでいかずに、衛星国や植民地として独自性を残す集落もあったでしょう(前人未踏のへき地の少数民族がその典型)、この場合は宗族的な『共同幻想』になります(このたとえはどうかと思うけど、昔のヤクザの”ナントカ一家”の『共同幻想』みたいなもの)。
そんなこんなで「偉大ななんとか王」やら「宗教指導者」やらこれを周知徹底する階級制度から、職業事のギルドまで、様々な方法で「質的にも権威正統性敵にも」オリジナルが最強となる。
第二世代、第三世代、、、代20世代、
●どこの小学生が考えても威光も話の筋立ても「コピーを繰り返し続けて画像劣化を始めるように」劣化するよね?
(初代なんてさ、アレキサンダー大王イスカンダルとか、織田信長とか、イエス・キリストとかブッダや日蓮とかモノホン見てんだぜ?←この意味で劣化を防ぐため生まれ変われを選ぶチベット仏教のダライ・ラマはアイデアだよね。)
ルターの宗教改革の時初めて出版された『新約聖書』読んだ人とさ、
どこぞのホテルに据え置きされてる聖書を手に取る現代人の心境が”同じとかあり得るか?”
■同時に、この『共同幻想』伝言ゲームは主として各世帯家父長の中間管理職により相伝されることになるが、オリジナルの時代は「12使徒」のようにかなり均一というか(解釈の違いこそあれ)雰囲気の”共同性・共通性”は高いレベルを維持している。
これがさ、十何代目とかになって(当初12単位が)何万、何十万世帯となり、
かつ、そこで伝言ゲームが十何代目だよ、
「答え合わせしたら、バラバラになるに決まってんじゃん」(笑
↑
こういうのを『共同幻想』”崩れ”って呼ぶわけさ
■この、社会適応のルートを使い”共同の自我を上書きコピーする仕組み”は(『共同幻想』適応社会)、必ず劣化する。
古代においては、文明の衰退などにも影響していると思う。
時に、反動勢力が台頭し(時代のネジを巻きもどそうと)「共産主義を全体主義で”均一”に半ば強制的にオリジナル第一世代化しようみたいなさ(文化大革命)」、
ある意味、時代の捏造でもあった明治の富国強兵、天皇陛下を独裁者かのように利用して(日本の歴史とは著しく違う)、数世代で「敗戦革命」みたいなことになった国もある。
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