過去ログで書いた話。
ぶっちゃけ『自意識』とは何なんだって話で、
「多分現在形では無く(現在は無意識のが勝ってるのかな)先を読む中の人だろうと」
外形的事実に依らない快感代謝の代表は『自意識』マターなんだけど、
(『自意識』全開と説明する場合もある←想像力を全開で吹かすって状態)
外形的事実に依らないってのは、
「実際に何か持っているだとか、何かに成功したなど一切必要とせず」という意味で、
↓
ド・デカイ話を『戦略』と呼び、
目先の話を『戦術』と言いますよね。
軍隊の机上演習とかで考えてもらってもいいけれど、「ナンボでもスケールでかくできます」
「それが楽しいのは本物の実働部隊を持っているからでしょ?」って人いるかもだけどさ、
んなもんさ、『囲碁将棋の何が面白いのか』なんて野暮な事言うか?
(実際の飛び道具とかリアルな小道具無くてもさ、石や駒でも「脳内では大戦争」状態が可能なワケで、)
関連事項としては、
「高校球児が負けて泣きながら砂集めて帰るって、砂ごときが何だっての」とか言わないじゃん
●つまり、この話はさ、
「無意識の誰かが、”そんなくだらん”とか野暮なこと言わなければ、『自意識』は結構自由にオルタナ・サブカル展開が可能」ってことなんだわ。
(横やりのチャチャが入らなければな、)
ここまで書いても「しょうもな」言う人は言うんだろうけど、
長嶋茂雄だって、打つイメージはあるんだぜ?
しかもさ、プロ野球選手で打者の場合「確率で言えばヒット狙うべきじゃん」
しかし実際のところ(落合なんかが言ってるけど)ホームラン狙いに行ってるからホームラン打てるんであってだ、張さんみたいに「ヒットの延長」言っている人のヒットのイメージは「すごーいヒット」みたいなw、自分のフォームまで崩さないようなアレだろ?
(だから張本は終生イチローの内野安打狙いをどうしても認められなかった=内心張本も”できればデカイの”狙っていた証拠です。)
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タグ:『自意識』