2021年04月28日

リクエスト関連(ももちさん”友人”)

ももちさん
>一つお訊きしたいのですが、友達できる人とできない人って何がちがうのでしょうか?例えばゲーム好きな知人はオンラインゲームで同じ趣味の何人かの人と意気投合して遊ぶこともあるようです。10年来の付きあいだから気心も知れてるようです。他の人も釣りやツーリングに行った先で友達ができたり、漫画などのイベントで友達ができたと言ってました。結婚した人もいます。しかし私はそういった趣味やイベントに行っても全く友人はできないのは何故なんでしょうか?

そもそも言葉通りの意味の友人なんてものは、誰でも生涯数人で会えるかって代物です
(それは友人なのか、付き合いなのかって厳密な線引きは《相手もあることなので》当事者に明快に認識されることはない。←第三者にはある程度判断できるでしょうけど、)
 ↑
理由は簡単です、個性差がありますから。
(※『単独者』論としては「そもそも友人など必要が無い」ってことなんで、友人云々を気にすること自体「強迫心理じゃね」って話です。漫画家の蛭子さんじゃないけども、)


■逆に(それが付き合いなのかはともかく)巷で言うところの”友人関係”は何を所以に成立しているのか?を考えるとき、
ガチ『共同幻想』適応の場合は、厳密に言うと友人関係ではありません(同族関係のようなもの)。そもそも個として実存しておらず、自我の一部を互換性のある共有概念に置き換えますので(わかりやすく言えば”義兄弟”)既に他者では無いのです(自他の区別が曖昧)。
群体として”ひとつの法人格(同族)”のような実存をしていますから、
「君も同族かね」ってことになれば、即日(この概念における)友人になります。
この場合、個として活動することはできず(集団としてしか活動できない)、
食事をするにも”同一の仲間”を必要とします(その承認無しに生きられない)、
故に、この社会には”孤独”という概念がある(=死を意味する)。
(※古代の軍隊)

●それが近代以降世俗化し(昨今未開民族のようなガチ『共同幻想』も珍しいので)
友人関係は、主として”社会的インセンティブ”として機能します、
(ベタに言えば、ひとりではカラオケも焼肉にも”いけない”のです→”連れ”がいる承認が必要)
友人が欲しいからでは無く、友人無しにできないことが”やりたい”ワケで、
その欲求のための必要条件なんです、
ですから俄然是非とも”連れ”をゲットしたい能動的欲求が成立します。
獲得できなければ、人類普遍の「退屈したら死ぬ病」で〇狂するのですから尋常な危機感ではありません。
また、「あー友達がいてよかった」なる彼らの言葉には(前述事情の)本音が隠れており、
”別の意味で実感の伴った言葉”となります。
(※同盟関係)

●更に現代、「おひとり様」時代、
ぶっちゃけ中途半端な友人は邪魔でしかありません(個人的専門性と関連性の無い対人関係は、出席したくない会議に呼ばれている時間と同じですから)。
少数精鋭じゃないですが、「気の合う仲間」のような言葉に代表される関係を前提とします。
(※言えば安全保障)
 ↑
しかし既に上記に予兆されているように、個人の自由MAXは”少数ならより少数の方が強い”となりますので、最強は”自分ひとり”であり、→『単独者』に繋がります。


<<友人といることを固有に楽しい事項は何かと考えたとき、>>
”ネタを盛り上げる”『興奮』獲得を利益とする関係になります、
(他者とワザワザ盛り上げる必要性の無い個人には最初から必要が無い→詩人のひとり旅じゃないけども)
典型例は「ヤクルトスワローズファンが、他人同士だけど肩を並べて応援する」って奴です
(ファンとしての方向性が近しいほうがより盛り上がりますね→友人であれば更に利得が増す)
 ↑
のような、固有の趣向性や期待値があれば、
これをインセンティブに(性的欲求で考えてみましょう)俄然強烈にアプローチもして、期待する快感をゲットしたいと思う。
 ↑
前述括弧の詩人じゃないですけど、必要無い人には必要が無いんです。
(動機が明白なら「放っておいてもあなたは友人をゲットするために俄然強烈にアプローチすること自体にも興奮し、今《エロ本目指して顔真っ赤にしてる中学生のように》現在まっしぐらに突撃中の筈なんです」→その目的として最強のものは”性的欲求”になる)

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posted by kagewari at 18:37 | リクエスト関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アイン・ランド記事の補完でSNS・SMSって存在を少し分析しておく

SNS(Social Networking Service)
SMS(Social Media Services:SNSを含む双方向メディア)
 ↑
などと呼ばれたり総称される”ソーシャルメディア”ってのは、
広い意味ではブログや2chも含まれるかなとも思いますが、
当初期待されていた機能は”インディビジュアルなネタバレ”であったり、弁証法的集合知だったり、本筋”民主主義的メディア”だったのですが、SNSの登場により変節していきます。

まー各方面からお叱り前提の暴論から言えば、
”DQNのLINE”(典型例”中学生高校生の集まり”や”ママ友”他)
「共有すべき同調圧力拡散機」としての性能です。
●FBのザッカーバーグの話も典型だと思うんだけど、
確か、大学の同期会名簿の管理だったから始まっており、
当のザッカーバーグは、お宅だなんだで学生時代馬鹿にされていたとかなんだで、見返してやる的動機もあって開発が始まるんじゃなかったかな?
 ↑
つまり旧来の『共同幻想』に対する反動形成的に「(俺達の)『共同幻想』作るゲーム」みたいな、なんてかな筋の悪い中二病的なアレなんだわ。
こんな素性のものを、”崩れ”代表選手の不良の手に渡したら”格好のいじめツール”に堕ちることは、それこそ馬鹿でもわかる話で、、、
(SNSには最初から”炎上機能”があるようなものなんだからさ)


■特に米国でこれが伸びた背景には、
IT化というある意味新しい産業革命を前に崩壊するキリスト教的『共同幻想』を代替するため(社会不安にこたえるため)、「心の教会」みたいなさ、まーそういうことですよ。
(※ここにキリスト教唯物論派の左翼がPC《ポリティカル・コレクトネス》なる”教義”を武器に布教活動を始めたら、ザックザックと釣れて「真っ赤っか」になってちゃったというお話です。)
 ↑
米国の保守共和派のyoutubeなどで盛んに「そんな左派リベラルな人のSNS動画で、ヒステリックに大声出している様(日本の左翼のアベガーデモみたいなノリ)」を揶揄して、
「お前ら大丈夫か?」って笑うコンテンツなどがあったりしますが、

「不安を煽って→馬鹿のスイッチ点火して→レバレッジかけて(盛る)→〇狂」
 ↑
こういう構造が定番化しているってことだよね、
(不安『興奮』に目的与えて、エスカレート動機形成による醜悪な怒りがドーン!みたいな方式)

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posted by kagewari at 16:17 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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