日本の近代『共同幻想』は嫡男の総取り家督相続をベースとしており、次男や長女以下はスペアだったり政略結婚のカードとしての意味ありつつも、農村などにおいては「長男の農奴扱い」だったりしました。「飢饉の時の口減らし」じゃないですが、
状況に応じ、男は丁稚奉公へ、女はいいとこの奉公人や(金に困れば)女衒に女郎として売り飛ばしました。
嫡男総取りってのは(これは現代の相続にも通じる話ですが)分家に次々切り分けたら先祖が命かけて開墾した土地がバラバラになり、スケールメリットを失うだけでなく「全員零細になる上に過当競争が起きるだけ」だからです。
その関係でー
江戸時代の上方や江戸には(悪く言えば)売り飛ばされやけのやんぱちな町民による文化が生まれます。江戸で言えば「宵越しの銭は持たネーぜ」なんてなサブカルが栄えた理由であり、
男女の人口比がめちゃくちゃであったため、ほとんどが結婚など想定しておらず、
(現代でそれを模倣したのがAKB)「吉原の花魁道中が大変なことになった」ワケ、
お伊勢参りんなんてイベントでも、当時のOLさんの女子旅行とは「宿場宿場で売春しつつ面白おかしく遊びに行く」って〜なワイルドなロードムービーみたいな代物でして、
歌舞伎であったり、芝居であったり、以後の大阪・東京の文化に連なっていきます。
確か、旗本退屈男だったかな?
時代劇にいいとこの生まれの武士なのに入れ墨いれたり遊び呆けている無頼キャラが登場するでしょ、彼らはだいたいが次男坊なんです。武家の次男坊は長男を立てるためにワザとバカな振りしたりグレて見せたりしたのね。そいいう文化がモデルになってる。
つまり、大阪も東京も「素性は巨大な『歩留まり』都市」であり、
勿論そこには(居心地もいいですから)『単独者』異邦人も集まった。
(新宿2丁目文化なんてのもその流れで見るとわかりやすいでしょ)
<ハイ、そこからの〜>
高度経済成長から始まる「都市一極集中経済」、
地方は都市の文明を模倣するようになり(ナントカ銀座なんてーのが日本国中となる)
【皮肉なことに都市文明(次男)が地方(長男)を上書きした】
江戸城には”お上”があらせられますから、
サブカル世俗化『歩留まり』皇国みたいなんが日本の本質的素性に切り替わったんです
(この”大返し”は社会学上のゲマインシャフトからゲゼルシャフト以上の転換となる)
■そして現代
外国人リレーコラム 孤独を好み、孤独に強い......日本人は「孤独耐性」が高すぎる
https://www.newsweekjapan.jp/tokyoeye/2021/03/post-60.php
(newsweekのイラン人さんのコラムから大事なところ抜粋)
私が日本人に対して持つ印象の中でトップ3に入るものの1つが、日本人は孤独を好み、孤独に強い、ということだ。仕事の後も休日も1人で過ごす人が多いことに驚く。1人暮らしでも用事がなければ親に電話もしないし、たまに電話しても長電話するでもない。1人で外食チェーンで食べたり、1人でデスクランチをしたり、1人で映画を見たり、1人旅をしたりする。
人生の半分近くをイランで過ごした私には、いまだに受け入れ難いことである。もちろん日本人の中にも、群れるのが好き、家に1人でいられない、という人は多い。だが、そういう人の割合は、イラン人に比べて圧倒的に少ない。イラン人も1人で静かに過ごすことを好む人はいるが、大多数の人は、いつも誰かと一緒にいたい、一緒にいられないならば電話で話をしていたい、というメンタリティーの持ち主だ。
『歩留まり』ってのは「いつかは『単独者』」って人たちですから(笑
まだまだイランの方にはにわかに理解できないでしょう。
(日本だって戦後高度経済成長以前は”出稼ぎ”がもの凄い号泣悲劇扱いでした《今や笑い話です》→交通も整備された現在、”単身赴任”にそういうペシミスティックな印象は全くありません)
●【重要なことは】
外国人の目から見たとき「それが有意な”現代日本人を代表する特徴”だってことです」
(既にそれが多数派であるという【第三者からの指摘】)
↓
合わせて、前段流れから言えば「世俗化『歩留まり』性とは現代日本人の(その文化・伝統の変遷の中で獲得された)潜在的本質である」ということでしょうか。