>ご返信ありがとうございました。特に十代から二十代前半にかけて環境と対人関係で苦労し、「なぜ自分はいつもこんな目に遭うのか、なぜ、なぜ……」と常に自問し続けていました。「本事案に”全く無関係”」と言い切れるのはなぜでしょうか?幼少期ならまだしも思春期の自分には大人ではないにせよ意志決定力は備わっていたと思います。交通事故に遭ったことをいつまでも悔やんでもしかたない、のようなことでしょうか?「それでも俺はよくやった、よく耐えた」と、とにかく認めてやることが大事なのですかね?
●証明は簡単なんです
目標が自覚的であれば、思い残すなり見事な達成感なり”容易に自覚できます”
ところが、根拠不明な未達成感がある
=無意識下にある命題は「お前は何をしても足りない男だ(だから無限にがんばれ)」のような設定になっていなければ、論理的に上記現象は発生しません。
言うならば、相談依頼文が既に「根拠のないデマに強迫されていることが」証明されてます
●次に、この心理発生時期ですが、
(基本的には幼児期のことです、→最大限年長まで引っ張ると思春期以前となります。またPTSDにおけるトラウマ論の場合は成人年齢以降でも発生します。)
無意識的であり、現在の「自意識』には”取り込まれていない(無限大労役の刑とか身に覚えがない)”=思春期『反抗期』にネタバレ崩壊していない=何らかの原因で鍵がかかり(自覚することが)タブーである。(そう考えるきっかけが、あまり思い出したくない”めんどくさい事案であるなど”)
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大人の考えた結論ではありませんので→100%どこか間違えているんです。
(子供ってのはサンタクロース信じるほどイカレテますので、子供時代に思いついたことのほとんどは現実から乖離してます。)
それから自分を認めるのではありません、
勝ったのだと宣言するんです(確定事項であり承認の必要はありません)、
「頂点であり、それ以上は無い(限定解除である)」
(認めるも何も、《自覚的に「十分やった」とあるんですから、たとえるなら→》普通自家用車でニュブルクリンクのタイムアタックでレコード出したんですから、おしもおされるぬ頂点です。←これにケチ付ける奴は底なしのバカかキチガイです。)
自分のキャリアにイチャモンつける発想に(お前は失格だお呼びじゃないと)ダメを押すって事です、
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タグ:強迫心理