●『話を”盛る”心理』シリーズ
http://kagewari.seesaa.net/article/479626115.html
下手したら霊長類としての一般的動機形成の16倍何か盛ってでも思いつかないといけない人類の性は
(かといって断念し怠けると「反動形成で160倍化した黒動機になってみたり」、罪悪感や焦燥感でメンタル病んでみたり、単純比例反動でバカヤローと荒れてみたり)
日常的にストックされてる労役(ノルマ達成すると気持ちよく眠れる)だけってのはしんどいんです。
「行動1VS動機1」だと、もうめんどくさいんですよ(ベタに言えば利益が無い)。
『共同幻想』社会は、その特性を読み切って「インセンティブ」ってを発明するんですが、、
(続きは《あれ?書いたと思うけど》前述シリーズ読んでくれ)
さあお立合い、ものは考えようです。
■「行動1VS動機1」選択には快感代謝達成感が無いのか?→”否”「あります」
下手すると?→下手な盛られネタよりも?「充足感が高い」
何故なんでしょう?
あの、「やろうやろうと思っていながら先伸ばししていた掃除を完了した時のあの達成感は何?」
「美酒ナントカ、やっぱり違う本物の輝き」的キャッチコピーじゃないけどさww
現実世界の生き物として身の丈に合った動機形成が、人類固有のイカレタ欲求拡大進化に遭遇して消え失せたワケでは無いと思うのです(素の哺乳類にとっても「繁殖期の乱痴気騒ぎは快なのか不快なのか悩ましい問題だろ」)。
「最短距離でハイスピード」←ネタはあんだからさ、
(面白おかしく盛るネタが尽きているだけで、日常的な《言えばもう飽きた》快感代謝事象そのものが”色褪せたのでは無い”→しかも日常性=生き物としての身の丈に近い欲求じゃん《違和感も少ない》)
■そこでこんな風に考えてみた
・やるべきだと思っているのに、めんどくさいこと
・たいした満足が期待できないとやる気の起きないこと
・いつかやらないととおもっているんだがってこと
・日常的過ぎて、若干飽きている快感代謝(代表選手は家事労働や入浴)
↑
はい、期待される快感代謝は「行動1VS動機1」系です
(盛る要素がネーし)
言い換えると→興奮が10分の1なので必ず動機形成時”燃料不足”でなかなか実行されないもの
●ところが、上記を実行すると?
プリン10倍返しの元となってる始まりの1を実行することになる。
↓
こういうことだよ、
(みなさんご存じ「プリン10倍返しの法則とは」)
大事にとっておいた冷蔵庫のプリンを食べられて激怒(反動形成発生)
超高級プリンじゃないと収まらない(あたかも欲求が10倍化したも同じ)
事実この時の『興奮』値がプリン10個分になってしまうというものです。
(※ちなみに上記ケースのシンプルな精神分析的ネタバレ・アプロ―チってのは、うっかりプリンを食ってしまった人物の背景事情などを考慮して「それは悪意の嫌がらせでは無い」ことを証明などすることで《現実:リアリズムの回復》、劇画調物語性をネタバレ崩壊させるものです。)
さあ、この話には続きがあって、
仲裁者として高い能力のある第三者が(昭和の”家幻想”なら賢人役の爺ちゃんなど)、
うまいこと反動形成中の人物を言いくるめて(上手なペテン師役)、
「まあ、まあ、そう言いなさんな」と→どこぞで調達した【1個のプリン】を食べさせることに成功した場合。
「しかたないわね、」だとか「まあ、これも悪くないわね、」とか言いながら
↓
怒髪天した(10倍化した)『興奮』が、1倍の快感代謝で収まっちまうんです。
それって?
逆説的に言えば、本当の意味の10倍返しだろ?
(1倍で10倍の欲求不満を解決したんだぜ)
■この現象を発見したのは、心理学じゃなくて(度々批判にあげてる)”臨床系”なんだよな、
「いっつもバカにしてる臨床系だけど、デカした大発見」って奴(笑
これを”行動療法”と呼びます。
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