ニーチェ先生の『善悪の彼岸』読んだのもう35年以上前なので
”ほとんど覚えてません”、それでもしばらくサイドバーの推薦図書に置いとんだが、
(きっとニーチェ先生言わんとしてるのは今回の話の真逆かもだがそこは文脈の中で言及する)
昨今心理学テキストにおいて頻繁に登場する「オルタナ・サブカル拡張論」ってのは、
簡単に言えば以下のこと
(フロイト心理学で言えば「昇華」のこと)
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●名の知れたカレー店でカツカレー大盛りを食べようと思った
と こ ろ が
1金が足りない
2近隣に当該店も無い
3なんつったってめんどくさい
この時、『自意識が』何かしないで放置すると、脳は快感獲得のために反動化や退行化を勝手に試みてしまうので(俺はカレーも食えないのかと涙してみたり、ヤケクソ・クレジット払いでカレーパン10個買ってしまったり)、欲求の過剰なエレベーション(上昇)が起きる。
↓
●「諦めるのはまだ早い」と、ここで異例ともいえる作戦を考えるのが「オルタナ・サブカル拡張論」だ
一次的動機形成を諦めないスタンスのこと
(希求する欲求もエレベーションさせず、1VS1で代謝することがポイント)
1カレーは某西〇系のレトルト60円ぐらいなのでいい
2カツが手元に無いので某カップラーメン用の天ぷら(3個で160円などで販売されてます)
3「なんかいいかもしれない」←必ず声に出して言う
↓
だいたい微妙な苦笑いの中で「勝ったな」という気持ちになります(笑
これが「オルタナ・サブカル拡張論」なんだけれど、
そんな『自意識』の『抗(あらがう)』攻防(”悪”あがきとも呼ぶ)
それを『抑圧』阻害するのが、”いい悪い論”なんだわ(曰く『共同幻想』系道徳関係)、
だから、『自意識』頑張ってるのに”悪あがき”とかさ、なんだか失礼な表現となる。
『共同幻想』常識論や道徳論ではそれは”悪い事”だからさ、
(ズルとか、非公式とか、不公正やら、偽物だ、やれインチキだ、自己満足だ、エトセトラ、、)
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だってそもそも『共同幻想』洗脳プロセスってのは、
そういう『自意識』の自由を拘束して、
「〇〇〇〇の大盛りカツカレーが食べたいなら、ちゃんと働け」みたいな誘導が目的で、
その先に「上司の言うことに逆らうじゃないよ」みたいな世界がファーラウェイに広がるんだわw
故 に
「西〇安物カレーと、カップラーメンの天ぷらでやりきるなど言語道断」なワケ、←”あいつら”恥ずかしくないのかとか抜かすからね。それこそ失礼千万『単独者』なめんなよ!
(おいおい、解決しちゃってるじゃないか〜なにやってんの、そこでコンプレックスかましてガーっとエスカレートした、、、、残業100時間のエネルギーになるんだろ?違う?←いやいや、、人類ヒト科の生物学的モチベ超えてんじゃん、、)
故に
「西〇安物カレーと、カップラーメンの天ぷらでやりきる者は世界を制す」でもある
(※クラシック音楽とパンクロックの関係なんてのはそういうことだから)
↓
そら”再選択保守本道”で言えば(彼らは軽率にそれを”いいとか悪いとか”言わない)
合理性を超え、「サバ味噌とかかくあるべし」ってのがある。
これはさ、固有に完結した世界であり、残業200時間への道に遠用したらイカンのさ、
保守論としても「崩壊断末魔のやり過ぎ『共同幻想』は愚劣な”崩れ”に過ぎない」
(ノブレス・オブリージュはそんなものやない)
しかし諸君!
思い出していただきたい(ニーチェ先生も聞いてくれ)
「武士は食わねど高楊枝」
その過程に『自意識』が存在賭けて考え残したか?←そっちが実存本体であり
「西〇安物カレーと、カップラーメンの天ぷらでやりきる」←サブカル・パンクとしてアリなのさ
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