これ普段から当たり前の事として使っているけども、ここんとこ続けている快感獲得の確率論ネタに密接に関わることもでもあるので、ひとつまとめておこう。
何もパスカルの賭けそのまんまの話では無いのだが、それをモチーフにって事で、
パスカルの賭けは単純に言えば、
「神を信じないで死ぬ人」と「神を信じて死ぬ人」を比較した場合(神がいるのかいないのか一生不明なワケだから)「神がいるんだな」的エンタメゲットした分後者のが得だろって話。
(そら神じゃ無くて悪魔って場合もあるだろうがw、快・不快原則で言えばどっちも『興奮』獲得エンタメマターには違いない。→一歩間違うと「悪魔的悲観論の無限『興奮』獲得」みたいにも言えるが、構造としては鬱ではないわな、能動的に信じたバヤイってネタだからね。)
で、そこに経済学の限界効用みたいな話も加味しつつ(財貨の価値は一定では無い)
■先進国論的に、必要最低限度の生活は保障されているとした場合、
勝った負けたの大騒ぎも(生活に直接関係の無いエンタメなので)
「日本シリーズの勝者的意味しかない」のだから(勝ち負けどちらに意味があるとか不明→勝ち負けってよりかさ、実存してんのは”勝負”だろ)、
↓
パスカルの賭けじゃないけども「過程で得られるエンタメ性こそ本質だ」という認識の話です
●実例をあげて考えてみよう
ドン・キホーテ「偉人じゃなくても冒険があればいいじゃないか」
典型例はさ、海外旅行などで某所に行くと決めた場合
一番困るのは「退屈だったとき」であって、
酷い事になって失敗談の連続でも→これは自慢話になる。
(以下は退屈事例と被るんだけどさ)
誰かに無理くり誘われて行った場合の出先で災難に→(興奮値は獲得するが)凄く嫌でしょ
しかし
周囲の反対も押し切って自らの意思で”こうと決めた場合”→大失敗も武勇伝となる
(この場合退屈ってのはあり得ない→期待が大きいから失望になる筈)
つまり先進国における『単独者』の場合、
無敵って表現は(別の意味で)あれかもだけれど、、、
「面白そうだと思ったら(失敗も成功も等価なので)何をしてもいい」
ということになるのだよ
ある意味『単独者』の法則
●かといって「非常〜に重要な事だが」
『単独者』の動機形成には反動形成レバレッジがかかっていないので現実から乖離するようなエスカレートした欲求とならない。
「どってことない、たいしたことない、面白そうなこと」が中心になる
(一見所得にすらたいして興味を示さない→限界効用論から言えば所得は多額になるほど1円の価値が下がるため、1円でも興奮できる効率を重視すると「むしろ貧乏な方がよい」となる:勿論最低限度の生活が国に保証されているから言えることだが)
「そんなクソみたいな多様性が何かになるのかいな」って
権威主義者な方からのご批判あると思いますがww
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