■「自我内部における”快感代謝”のシェア争い(国の経済で言えばGDP的な)」
(今回もまだ中間レポートかな、、)
・不快(による『興奮』獲得)産業がトップシェアになれば優先順位が上がり、無意識に不快『興奮』を訴求してしまう(無意識に同じネタの悪口を何度も繰り返してしまう→後に悪口の対象を悪魔か重犯罪者のように憎悪するように転じるなど)、
皮肉な事にイジメ問題のトラウマ論やPTSDなどの背景にもこの構造が関与していると思われる
勿論認知は受動形『被(こうむる)』主導する認知は無意識
↑
この全体像を俯瞰で見た様子が「強迫構造」である
(米国臨床系ならそれを”ネガティブ・シンキング”)
・快感(による『興奮』獲得)産業がトップシェアになれば優先順位が上がり、どう考えても失敗や不快事例では無かろうか、はたまた事故事例のような現実に対しても(オルタナやサブカル反抗が発生し)、「なんかこういうこともあったけどさ、アレじゃん?〇〇〇◎▽◇(笑」とか、
やせ我慢なのか(ボクシングの「嘘だけど、効いてない、効いてない」ポーズなのか)「簡単には不快『興奮』に堕ちない」強度も発生し(意地でも快感産業)、
この時活動する「オルタナやサブカル反抗(『抗(あらがう)』)」とは、
確実に(思いつく発案者が必要なのだから)『自意識』マターである
↑
この人物は事象と全く無関係な(実際にはどんな被害状況があろうがなかろうが)
能動的選択者であり(それを決めるのは俺だ:被害など無い、効いてない)
”思いつく人”
(米国臨床系ならそれを”ポジティブ・シンキング”)
●うーむ、ちょっとまとまってきてるのかな、、
てな話を「ネガティブ・シンキング ポジティブ・シンキング」から再度補足してみる、
■ そ も そ も が 英訳 的 に
negativeには「後ろ向き」って意味があり(示唆するのは”現実時間からの退行”)
positiveには「確実な、間違いのない」って意味(示唆するのは”言い切る”『自意識』)
↑
つまり、単純化して言えば、
前者は無意識受動形(感情論)幻想世界なのであり
後者は『自意識』マター能動形実存主義となる
現実から乖離するのが前者(反動係数)
そこに現実を選択し宣言するのが後者
(ボクシングの判定すら”覆す”→負けを勝ちに上書きさえする)
一見素直で無抵抗に見えるのが前者(まず被害を訴えたい)
往生際が悪く、憎たらしいのが後者(まだ勝ち目はある)
●などなど、いろいろなパターンや傾向が関連付けられると思うのね、
うーん、なんか適当なとこもあるので、間違ってるのもあるかもしれんな
<今日はここまで、何かアレだなこのネタはいつかまたやる>
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