(量子論のナントカじゃないけどもさ)
「考えた事(「証明欲求」とも関係するんだが)」
そこに
心理学的原則である「結果論には意味が無い」を、合わせて考えるとさ、
↓
「考える創造する、イメージする」←この段階で”勝った”だろ?
(結果論に意味が無いのであれば、事の顛末成功か失敗かはどうでもいいことになる)
(マルチまがい商法並の怪しい詐欺師がこの辺の論理を「ナンチャラの法則」みたいなセミナーで大儲けしているので迂闊なことは言えないんだが、、、「夢物語を想像すれば実現するとかそういうキテレツでカルトな話じゃネーからなww」)
■「論理だてて考えた事は(いわば科学的仮説)、実現していなくても個別に実存する(幻想の反対である)」→「証明欲求とはある意味その派生であり”事の顛末”である(そこに没入していっている様)」
「ナントカ闘争」だとか「ナントカ戦争」って言葉はあるが、
どっちが勝ったのかは調べないとわからないだろ?
(しかも歴史にifがあるなら、どちらが勝つのかわかりゃしない)
「かくかくしかじかの考えがあり、実行された」←ここまでが事象であって、
勝者は誰かなどの個別各論は、派生物”事の顛末”である、
「大相撲秋場所」って言うでしょ、「日本シリーズ」とも言うよね、「ワールドカップ」でもいいよ、
「かくかくしかじかの考えがあり、実行された」←ここまでが事象であって、
勝者は誰かなどの個別各論は、(それも確かに歴史だが)派生物”事の顛末”である、
(それを個人心理学に当てはめるとどうなるって思考実験ですよ)
たとえば、
「かくかくしかじか、こうなって、こうだってことなら、それ故にこういうことだろ」のような立論が考えとしてある場合(勿論手続きとして”そう思ったとかでは無く”考えた論旨があればってことだが)、たとえそれが実験やら検証の結果、現実には存在しないことがわかったとしても『殊更に何やら仮説』って命題は在る。→つまり実存するワケだよ。
●「僕は生まれついての漁師だったのかもしれない、何故なら、、、、、、」←仮にそれが”動機形成足り得る”(エビデンスとして有効な)何かだったら、
「漁師への道」って命題はこの段階で実存する。
(たとえその道が敗退に次ぐ敗退で、最後は諦めることになったのだとしても)
↑
なんかこう書くと「実際に行動にうつさない奴奴は嘘つきだ」のように思うでしょ(笑
そら思うよね、
そういうこっちゃないんだわ。
芝居や映画における実存だとかリアリズムを考える時にさ、
(まんまお芝居なんだぜ?しかしその芸術が人の人生を変えることすらある)
名台詞ってあるじゃん、←これは何だ?
「聞け、それはかくかくしかじかこのようなものじゃないのか!僕は思うだとするなら、僕らは、、、」←ここにさ、ブラボー!ってなる時(動機形成の端緒として観測される『興奮』が発生しているよね)、
そ れ は 実存 し て い る(言い換えれば人にとって”現実”である:『興奮』が証拠として認識されるため)
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