■「カタルシス論」になるのかな、
まずカタルシスとは何かってことだけど、
哲学用語で、悲劇の舞台を観た後に起きる変化〜の「精神の浄化」なんて言われてますが(或いは罪からの解放とかね)、
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んな難しいこと考えなくてもいいのです
「欲求不満VS達成感」で考えた場合、
(前述の罪からの解放の罪をさ、宗教的禁忌の性欲みたいに置き換えてみな)
1)動機形成以前の「ドス黒く蠢く轟々とした欲求のマグマ」があるとします
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2)無意識下にある「その欲求のカオス(ま〜その実体はリビドーでもエスでも何でもいいよww)」
それを「えーっと何ですか(人類ヒト科特有の退屈したら死ぬ病が出ましたか?)」と認知した『自意識』が、「あれれ、ちょっと過剰化してますね(欲求代謝が滞り過剰蓄積してネーか?と)」〜の、
3)あーこれは悪徳含む(この場合はちょっとフロイト的に「欲求《罪》と道徳が対立概念だとしようか」)少々過剰なやらかしでもしないと”足りない”と認識、
4)「有り金握りしめて夜の街でシャンパンタワーでもやらないと気が済まない」
(そらガチにテーマを性欲と置き換えりゃ、、別の意味であられもない話に、、)
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●上記1〜4でひとつの”悪徳パッケージ”があるとする、
そ ん な 時 に、
「全米が泣いた的な感動ナントカ」でアーー!!これはって、
(退屈したら死ぬ病がお釣りがくるほど満足した時)
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悪徳妄想どころか「そうだよね、ネコちゃんよかったね〜」と涙して本人大満足
(もっと下世話に言えばさ、エクスタシー後の「賢者モード」のことだよ)
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この「轟々としたドス黒どこへやら」のことをカタルシス効果と呼びます
(少なくとも俺は”そう思ってる”ww)
<本来の言葉の意味とは違うけど、似た現象としてさこういうのあるじゃん>
理由は不明ながら、泣いて落ち込む子供がいる時に、
あっと驚く手品を見せてみたりさ、なんだかおどけた変顔見せて、
”無理やり笑わせてしまう”って奴、
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これも底流にあるのは『快・不快原則』なんですよって
(リビドーでもエスでもいんだけど、動機形成前は”欲求のスープ”に過ぎないワケ、この段階では特定の行為に結び付いていない。故に「何かの事象で大満足ありき」が”それに先行した場合”、「あれ?さっきまでの何だっけ」になるんだわ。)
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(※ちなみに、その【反対】もある。常に”こうに決まっている”という「興奮」設定が先行する場合、現実にどんなことが起きても先行する”『興奮』とネタの結合”を覆せない。←これが「強迫心理」)
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