ラノベばりに長いたタイトルを付けてみました<終わり>
■いやぁそもそもがさ、ケインズ以降は経済学そのものがフロイトの影響受けてっからさ
現代の経済学の背後にはフロイト心理学あんでしょって言われちゃうと身も蓋もないんだが、
ええい、ままよで進めますか、
経済が拡大する仕組みってのは、
「パンを焼く技術があります、小麦粉くれたらパンが焼けるよ」
「そうか、信用した出世払いでいいからそこの小麦粉もっていきなさい」
「パンがバカ売れ完売しました、借りた分払いますね」
「そりゃおどろいた、農家さんに増産指示出したろ」
「2倍も作付けするっていえば、牛でも使うか」
「小麦粉が倍あるねんけど、いるか?」
「全部買います(半分借りでいいですか?)、パンにします」
「全部小麦じゃパン食べる人多いから余ってしまう(余剰は牛の飼料にしたが)、牛が畑拡張してくれたのでレタスも植えるか」
↑
だいたいこんな感じ、
キモは「信用だけで生産財が移動したこと」←手法としては詐欺同然(笑
●ある意味経済ってのは
「その儲け話はホンマかいな」って筋にドーンと行くか否かで決まる
「担保も無しに話だけで金が貸せるワケが無い」←という”常識的”なスタンスだと(それ自体は間違いでは無いですよね)、経済学の成長原則が否定されちゃうワケです。
そんな常識派の典型が財務省であったり、ドイツの「ルターの罪悪感」って概念。
まあ心理学で言えば、
フロイト先生うっかり”性欲”とか口走ってしまったのでww
もうこの段階で”常識派”のみなさんにとっては「トンデモ学問サブカルでしょ」になってしまいまして、
「どうしてパンは売れるのか?」が財務省に理解できないように、
「どうして人類ヒト科は退屈したら死ぬ病なのか」が、常識派のみなさんにはわからんのですよ。
どうでんぐり返ししても『共同幻想』適応人格には心理学の意図や意味が理解できない。
てか、『共同幻想』適応系人格タイプの人が安易にフロイト心理学に触れるのは危険なんスけどね、
(予め何らかの準備が無いと「権威性認知自我」は崩壊し兼ねないから)
極端な人は
「だったら常識は悪なんですか!」って話にもなるかもしれないけどさ、、
そういうこっちゃ無いんだわ、
常識って言い変えりゃ、経験則や合理性だとか論理性が担保されてる”知識”ってことで、
それを否定する話じゃないんだわ、
●そこに権威性を乗っけると「それを前提に”別途考える”」って余地が無くなってしまう、
『共同幻想』はこの仕組みで(考えなくていいという角度付けて)無意識に『自意識』を抑圧する構造を形成しているのですよ、
であるからね常識を疑えってプラトーンの話は、
常識を否定しているワケでは無くって、
「常識は凄い(権威)から自分で考える必要は無い」って姿勢を批判しているのだわ。
(常識を否定しているのではなく、「常識論」を批判している)
勿論『自意識』マター的にこの時はこの常識だろって判断もアリアリでっせと、
実際のところ上記のような構造で、
「『共同幻想』こそ凄い常識である」という建付けが
『自意識』の自由度を抑圧する仕組みそのものだから。
(※しかしその抑圧デメリットがあっても尚、平均値的な常識論が自我にインストールされる優位性は最大公約数的に《特に人の寿命がやれ30代40代って古代になれば》強い集団的合理性を持つ。まあ洗脳っぽい合理性ではあるんだが、、)
■故にフロイト心理学も経済学も近代以降だからあり得る学問で、
『単独者』論ともなれば、先進国以降に初めて論議される話。
(人類史を考えれば『共同幻想』がもたらした功績はトンデモ級に大きい)
↑
この歴史の構造ってものを俯瞰で見るならば、
テンニースの社会進化論である『ゲマインシャフト』一『ゲゼルシャフト』論と同じような、
社会変遷論の中に『単独者』論が位置付けられ、
進化と言うと大袈裟な話だけれど(故にここ日本の90年代”ニュータイプ”論に被った)、
「『単独者』論とは歴史の必然と、生物学的帰結である」という見方ができるのではなかろうか。
●財務省の件で言えば、
→先進国化の果てに「いよいよAI官僚時代か」って論議に繋がっているのかもしれない
(財務官僚のみなさんにはそのまま→超優秀な防衛庁ロジスティク事務官として力を発揮していただきたい)
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