”取巻き”の話は各所で書いているんだけど(サイドバーにもあったかな)
かなり重要な話なんで、おさらい的に書いておこう。
通常この用語は「「強迫心理」に都合のいい”取巻き”」などと表現するんだけれど、
「『共同幻想』の”取巻き”」でも意味は同じ。
(『共同幻想』と「強迫心理」の違いは”その概念が共有されているか否か”の違いだから)
概念としては『共同幻想』用語と考えてもいいのかも知れない、
●この言葉のネタ元は「ホラー映画の『オーメン』です」
実は悪魔のダミアンを守る悪魔教信徒の配下の呼称(翻訳前は何て言っているのかは知らん)
この”取巻き”は劇中でダミアンも知らないところで信者として次から次と現れるんだけど、
(ダミアンを守り立派な悪魔に育て盛り立てるために)
「特定の自我であることを望む見知らぬ賛同者」ってところから”取巻き”を引用してる。
『共同幻想』や「強迫心理」の場合、
揺れ動く自分の本音が出ちゃいそうな時に(ご存じのように『共同幻想』ルールでは個人的意見の表明はご法度だから)
「やっぱちがうかしら(疑問や個人的意見なんて持っちゃダメだね)、きっとこうなんだよね」と投げかけると、100%「ですよ、そうだよ」と返してくれる一群の事。
この辺の概念はフロイト岸田というより、
(アンナ・フロイト参考にした)自我防衛論の一解釈なんだけど、
●無意識に周囲の同調圧力を自分の自我『抑圧』に利用する自我防衛行動と考えている
(『自意識』共犯の一種)
昭和で言えばさ
「悪い友達と付き合っちゃダメよ」「友達は選びなさい」
なんて言葉に代表される
「友達は『共同幻想』同調圧力メンバーで固めなさい」的な、、悪く言えば”洗脳”さ、
個性化を抑制し、自我を”普通の人”なるモデル人格概念に押しとどめようとする試み。
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それが昭和までのオンザレールな時代なら、まだ一定の合理性はあったと思うけれど、
現代社会に代表される”ウザいSNSの仲間(相互監視で秘密警察化みたいな)”的に、『歩留り』時代の昨今では嫌煙というか半ば嫌悪されており、実態は「『共同幻想』崩れ」に属する。
(典型例がDQNの”グループ”)
更に言えば、昭和の時代なら「友達は選びなさい」にあるように、階級であるとか属性で同質性のある(できればワンランク上の)仲間を”選ぶ’ことが前提となっており、
それは一種の”スカウティング’なのね、
でー、この話がやっかないのは、
(文字通りオンザレールな『共同幻想』自我なら同胞見つけるだけの話になるんだが)
●当該人物が「強迫心理」の抑圧に悩んでいる場合、
(「強迫心理」って子供自我であるパターンが大半だから、自分の階層を低目に見立てるってかさ)
なんか「え、どうして?」な仲間をスカウティングしてしまう場合が少なくない。
その背景には、自分の「強迫心理」を周囲と共有できず(『共同幻想』化しない)、周囲と共有できない様から(自信喪失じゃないけどさ)、「低きに合わせる」みたいな傾向になりがちで、
皮肉な話になるけど、
昭和で言えば「自ら悪い友達をスカウティングしてしまうみたいなケース」が起きがちなんだわ。
気が付くと周囲はロクでも無い”崩れ”仲間で一杯みたいな(笑
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この様子が”取巻き”ってことね
(「強迫心理」からの離脱を考える場合、真っ先に縁を切るべき連中)
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