うっかりしていると「作法や社交性のことだ」なんて勘違いは誰にでもありそうです。
いずれにしても(マヌケにしても勘違いにしても)
■「コミュニケーションの本質とは情報の伝達であり”その中身”です」
結果として(その間口の問題的に)「作法や社交性」が関係しなくも無い部分もありますが、それは専ら『共同幻想』社会の場合で、(対峙するワケではありませんが)2ch(5ch)の書き込みで、やれ必要の無い句読点つけるなとかww、長文過ぎるなどなど(文句が出ないとは言わないが)あったとしてもそれは枝葉末節で、重要なのが【中身】であることに疑う余地は無い。
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それに反して、
「ノックもせずに社長室のドアを蹴破った」←別の意味で(間口的に)NGだよね
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だからといって、そこが固有に重要なのは『共同幻想』適応社会の中の話であって、
同じコミュニケーションでも
「企業の不正を暴くジャーナリストが、当該企業の社長室のドアをノックもせずに蹴破った」←これはアリなんだよ(勿論辞表片手に『共同幻想』離脱の腹決めて内部告発者として蹴破るのもアリだろう)。
つまり慣習とかマナーの話は「内部事情」に過ぎず、いちいち論議すべき話じゃない。
(『共同幻想』適応選択でそれを知りたいなら「先輩の教えを乞う」だけで解決する)
■さて話は戻るけど、
「コミュニケーションの本質」が「情報の伝達であり”その中身”」にあるのだとしたら、
「何を言っても通じない」だとか「箸にも棒にかからない」というのも”コミュニケーション手段”の点から問題にはなる(定型例が”外国語なのでわからない”)、
と、なるんだが、
あくまでもそれは手段の話だから(工夫すりゃどうにかなる程度の技術的問題)、
そこを広げて論じてもたいした意味があるとも思えない。
だってさ、
「アアメリカ大統領が亡くなりましたよ」の伝達に成功したとしても、
そもそも事実関係として、それが嘘だったら何の意味も無いでしょ(笑
つーまーりー
くっだらないなんちゃらセミナーだとかの話も耳にしますが、
流ちょうに英語が話せても、話す中身が空っぽだったら「そこに何の意味があんの」ってこと。
●そこを突っ込んで考えてみっと、
「伝えるべき情報の”中身”」ってものがさ、伝えようとしている相手にとって「関心事項であるとか重要事項である」となるよね?
(芸能界に全く興味の無い相手に、どこぞの女優のゴシップ特ダネを教えてもクソの意味も無い)
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ここで、冒頭説明の「いずれにしても(マヌケにしても勘違いにしても)」に戻るんだわ。
仮にそれが『共同幻想』社会適応の場合(だよね、そうだよね、認識共有社会)、
殊更ユニークな情報を持ち込まれても困る(パニックになる)ってことです。
(緊急事態デフコン1で、全員に急ぎ共有”BCC一斉送信”「噂ON!」)
日常的に『共同幻想』社会適応の場合「求められていることは”どうでもいい日常”ネタ」であり(誰の興味を惹かないことでよい)「彼らは絶妙な間合いの、だよね、そうだよね民謡」のようなやりとりを、サルのグルーミングのように行うことを、コミュニケーションの別の目的としている(安心感)。
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ここで勘違いが発生するんだわ、
上記は、厳密に言えば「コミュニケーションでは無い」の、
コミュニケーションの姿を借りた「だよねそうだよね民謡グルーミング」なんだよ。
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