左翼リベラリズムが標榜する、
「『共同幻想』崩壊の後、グローバリズム(世界的覇権)としてのインターナショナルな(国際的一党独裁の)世界政府(共産主義社会)」みたいな話が本質では【無い】(笑
●そう見ると(保守派にとってはローカル『共同幻想』保守なのだから)ナショナリズムは『単独者』に都合悪かろうと思うかもだけけれど、
概念ってのはそのお題目に拘束力を持つからね、
(そもそも前述のように、米国におけるローカル『共同幻想』とはかなり”確信犯的再選択者寄り”の自身がマイノリティー《minority》である事を自認するとこがポイント←布教活動などで世界的覇権を取るって考え方の反対なワケだよ、=それを普遍的であると主張するつもりも”無い”)
結果として「個人の(連邦政府やましてや空想としての世界独裁政府からの)自由」を重視するなかで、『単独者』的な生き様も包含する余地がある。
そもそも論だけど、『単独者』と『共同幻想』再選択者は仲良くやれたりするからね。
「そうかお前は異邦人なんだな《終わり》OKだ」
(そのいずれも確信犯的に”俺の考え”に殉ずるもので、それを広めようとか共有しようとする意志は無い←彼らの考えるローカル『共同幻想』としても「この土地では”俺達”はこう生きる」と観念的なものを指していて、いちいち共有の確認を求めるような意味では無い=故に確信犯的なんだけどね)
●言うならばそこに”再選択者固有の”論理矛盾もある、
何故なら『共同幻想』の論理は基本”膨張主義””覇権主義”グローバリズムであり、自らマイノリティーを選択することは、その正統性権威の主張において弱点となるから。
(俺は以降が『単独者』との強い類似性なんだと思うけど)
しかし、事、この論理矛盾を「論理矛盾では無く”不条理(だからこそリアル)”と置き換えたら?」
それもひとつの実存主義なんだわ、
ある意味”特定の理念に集合する”群れとしての『単独者』が”再選択者”と言える、
(その土地に根差し、拡張主義を取らない→保守《再生産》のみをMAXだと理解する)
時々、再選択系ローカル『共同幻想』保守を(これ崩れの意味じゃないですよ→名家に拠り所となる伝統宗教や習俗があるから→先祖信仰が権威性《先祖を含む延べ人数による多数派民主制による権威》の背景を構成する)「排外主義の右翼」みたいに勘違いする人いるけれど、
そんな連中は《反動勢力であって》本物の再選択系保守では【無い】、
彼らも「改宗しろなど圧力かかれば(自分のシマは)正当防衛で守り戦うが、拡張主義者では無いので、越境してまでエスカレートした排外行為を行う動機が無い」、
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つまり合衆国憲法には従うが、連邦政府がEUみたいに(ローカル『共同幻想』保守に反する)新しい概念を押し付けるなら銃を持ってでも戦うってスタイルだよね(それが米国憲法には保証されている:連邦政府と戦う時のための”武装する権利”ですから)。
一種の「棲み分け論的保守派」とくくればいいのかな。
(『単独者』との関係でわかりやすい事例考えてみっと、「『単独者』は親友だが、娘に手を出したら殺す」みたいな関係だよww)
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つまり彼らは「自らをマイノリティーグループ(社会的少数派)として、社会的個性化、多様性」を求めているのだわ、
(全然同じじゃないけれど概念としては『単独者』と被るよね)
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