2020年02月08日

『欲望』「これが欲しい」の「”これ”はいつ決まる?」

「欲望」と「欲求」の違い
●言語学がアレなのでそれほど確たる根拠の話では無いが、
ここの論議では便宜的に以下に分類してみる

「欲求」は食欲のような対象は未確定なまま(”何か”が食べたい)
「欲望」は”これ”が食べたいと本指名がある(どうしてもマンゴーが食べたい)
 ↓これには更なる活用があって
「渇望、羨望、、、」後ろに”望”つくと何やらめんどくさくなるのがわかりますね。
 ↓
最後は「どうしてもマンゴーでなきゃ嫌」となる(この段階になると一種の病理的心理ですわな)

※間違っちゃいけないのは「フェチシズムとの混同です」
フェチってのは『歩留まり』に似て「何々に弱いと自覚されている性癖」ですから、
結論、「何々でなければならない」って言葉を吐いてるのは『自意識』共犯だったりします。
故にフェチシズムの場合趣味性も相まって、この「何々」は変遷する事もあるワケです。


●これに対して「欲望、、、渇望、羨望」活用ってのは、
しょっぱな活用前の「欲望」が「強迫心理」系(無意識的と言ったのがいいかな)であることに、自覚が無い。→本当に「具体的に何何でなくちゃ嫌って感情があるんですー!」と、当人思い込んでるのが特徴で(言い換えれば「強迫心理」ののまれている・洗脳されている)。

すっごく観測しやすいのが?
●【ガキの発狂】です
「プリンはプリンでしょう、食べてごらんおいしいから」
「マンゴープリンじゃなきゃ嫌だ」
「たいして違わないから、裏の成分表見てみなさい」
「マンゴーじゃ無きゃ嫌だもん!ギャー!!!」(犬発狂《誤変換では無くあえてイヌにしてみました》)
 ↑
このクソガキの自我では何が起きているんだろうか?

前述のとおり、説明するまでも無くフェチじゃありません。
象徴化や投影の可能性はありますが、
過去記事に書いた「『興奮』と結合」が最有力候補でしょう。
(原型となる体験が事実に存在せず、想像世界の場合いは象徴化と言えるのかも)
『興奮』と結合(フェチシズムも説明できるかな)
http://kagewari.seesaa.net/article/472538055.html

 ↑
で、今回は更にそこからフェチシズムを分離しているワケですが、
前述のとおりフェチは関連性の自覚アリ(フェチをフェチとして認識できる)、
「欲望、、、渇望、羨望」活用は、関連性に無自覚(”喜ばしいPTSDがあったら”みたいなもん)

いずれにしても原理原則は
「『興奮』と関連事象が結合し、快のエピソード記憶みたいなんが形成されている」ってこと、
これが”喜ばしいPTSD”のように、時々(脳がその再現を求め)「フラッシュバック」する。

えー先ほどの犬発狂したクソガキの脳内で起きていたことは?
「マンゴープリンで(うふふ)別の意味でも嬉しい(脳内フラュシュバック)」
 ↑
例えばさ、いつぞやの誕生日に好きな男の子の贈り物だったとかさ、
「オフレコじゃなくちゃ話せない嬉しい過去」があったとして、
あまりにもオフレコ(羞恥心により抑圧とか)だったので、関連先は無意識下に沈み、
「マンゴープリンってさ。すっごーくおいしいよねっ」って言葉に置き換わった場合。

それは起きる(笑

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posted by kagewari at 18:34 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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