「欲望」と「欲求」の違い
●言語学がアレなのでそれほど確たる根拠の話では無いが、
ここの論議では便宜的に以下に分類してみる
「欲求」は食欲のような対象は未確定なまま(”何か”が食べたい)
「欲望」は”これ”が食べたいと本指名がある(どうしてもマンゴーが食べたい)
↓これには更なる活用があって
「渇望、羨望、、、」後ろに”望”つくと何やらめんどくさくなるのがわかりますね。
↓
最後は「どうしてもマンゴーでなきゃ嫌」となる(この段階になると一種の病理的心理ですわな)
※間違っちゃいけないのは「フェチシズムとの混同です」
フェチってのは『歩留まり』に似て「何々に弱いと自覚されている性癖」ですから、
結論、「何々でなければならない」って言葉を吐いてるのは『自意識』共犯だったりします。
故にフェチシズムの場合趣味性も相まって、この「何々」は変遷する事もあるワケです。
●これに対して「欲望、、、渇望、羨望」活用ってのは、
しょっぱな活用前の「欲望」が「強迫心理」系(無意識的と言ったのがいいかな)であることに、自覚が無い。→本当に「具体的に何何でなくちゃ嫌って感情があるんですー!」と、当人思い込んでるのが特徴で(言い換えれば「強迫心理」ののまれている・洗脳されている)。
すっごく観測しやすいのが?
●【ガキの発狂】です
「プリンはプリンでしょう、食べてごらんおいしいから」
「マンゴープリンじゃなきゃ嫌だ」
「たいして違わないから、裏の成分表見てみなさい」
「マンゴーじゃ無きゃ嫌だもん!ギャー!!!」(犬発狂《誤変換では無くあえてイヌにしてみました》)
↑
このクソガキの自我では何が起きているんだろうか?
前述のとおり、説明するまでも無くフェチじゃありません。
象徴化や投影の可能性はありますが、
過去記事に書いた「『興奮』と結合」が最有力候補でしょう。
(原型となる体験が事実に存在せず、想像世界の場合いは象徴化と言えるのかも)
■『興奮』と結合(フェチシズムも説明できるかな)
http://kagewari.seesaa.net/article/472538055.html
↑
で、今回は更にそこからフェチシズムを分離しているワケですが、
前述のとおりフェチは関連性の自覚アリ(フェチをフェチとして認識できる)、
「欲望、、、渇望、羨望」活用は、関連性に無自覚(”喜ばしいPTSDがあったら”みたいなもん)
いずれにしても原理原則は
「『興奮』と関連事象が結合し、快のエピソード記憶みたいなんが形成されている」ってこと、
これが”喜ばしいPTSD”のように、時々(脳がその再現を求め)「フラッシュバック」する。
えー先ほどの犬発狂したクソガキの脳内で起きていたことは?
「マンゴープリンで(うふふ)別の意味でも嬉しい(脳内フラュシュバック)」
↑
例えばさ、いつぞやの誕生日に好きな男の子の贈り物だったとかさ、
「オフレコじゃなくちゃ話せない嬉しい過去」があったとして、
あまりにもオフレコ(羞恥心により抑圧とか)だったので、関連先は無意識下に沈み、
「マンゴープリンってさ。すっごーくおいしいよねっ」って言葉に置き換わった場合。
それは起きる(笑
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