海さん(意味が分からないから、依頼主の代理とか誰も頼んでネーと思うけど)
>お返事ありがとうございました。
ひとつ言っておきます。楽しく過ごしてる話をすると妬んでくるキモい同僚のあしらい方を相談してることは分かってますよ。でも「楽しいふりをしてる」とは一言も言ってない。「楽しく過ごしてる」と言ってる。楽しいと思える相手だからプライベートで一緒に遊ぶんです。それは紛れもない事実です。
●言っておきますって断言されても、
あなた依頼投稿主じゃ無いでしょ、、、千里眼の超能力なんでしょうか、、。
「楽しい」って概念が何かとか考えたこと無いでしょ
(あなたの話はそれが単なる”抽象概念”であることに全く無自覚だから)
それこそさ、最初の依頼主ニコルさんだったかな?
本稿記事に私が書いた「語尾に、〜とかで嫌だったんだけどね」「だよね嫌だよね」で誘き出すと、「強迫心理」の正体が出てきて、「これまで一度も見たことの無い〇子さん(同一人物だが)が出てくるかもしれませんよ」って、
↓
あなたがその〇子さんになってんじゃん、、、
(「えー素敵ーうらやま」とか《躁状態ハイで》まとわりついてくる人かと思ったら、「嫌だよね語尾」の誘いで、いきなり怒り出して《友達の作り方教えて〜だった人が》「私は実績残してます」「これだけは言わせていただく」と、まるで人格が変貌したかのように謎の人物登場)
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(こういうこと考えたことが無いから考えが浅いんだよっ)
何故「楽しい遊園地ですよ」って言葉が成り立つのか
(よーく考えてみなさい、論理矛盾があるから)
人は個性で全然別人格なのだから、遊園地が楽しいは限らないんですよ。
ところが、キャッチコピーとして(特に『共同幻想』がまだまだ優位だった昭和には)「楽しい遊園地」や「楽しい動物園」なるコピーが”通用した”んです。
●何故か?
さんざ、『共同幻想』の説明で書きましたが、
個性を抑圧して型にハメるのが『共同幻想』ですから(権力者から見れば労働者階級の誕生)、
社会適応すなわち”ストレス”であり不快なんです(この嫌な事を”善きこと”として従うのが『共同幻想』における道徳の刷り込みで)、
つまり暗韻として(社会適応しているあなた達辛いよね〜)
ちゃーんと落とし前つけますよ、
社会が「遊園地というストレス発散の場も用意しているんです」(残念だけど料金は社旗適応の報酬から自腹でね)「ほら?たっのしいねぇ〜」
↑
これがインセンティブ含めたパッケージなワケ
■当然各個人には「本音っちょっとな〜な奴もいる」
(ある意味『共同幻想』認知リミッター効きすぎの無知蒙昧階層が大喜び)
この時にさ、
「(あたしの事はいんだよ、本音はめんどくさくて嫌なこともあるんだけど)あなたがそんなに喜んでいるなら”うれしいね””たのしいね”」
↑
この切ない自己犠牲的泣き笑いの「たのしいね」ってのが『共同幻想』の神髄なの。
(本当は嫌だったり辛い事もあるのに『共同幻想』の仲間のために)
「アタシは全然平気だからね。どう?楽しい?」「そうあたなが楽しいなら、私も楽しい」←『共同幻想』が思い描く優しい人ってこういう人のこと。
度量の深いとか・ふところの深い人ってのも
「(本当は困っちゃうし実はお金も無くて嫌なんだけど)ドーンと俺に任せておけ(カードをチラ見しつつそれぐらいの苦痛は全然平気さ)気を使うなって、俺は好きで楽しいからやってんだぜ(って切ない嘘を笑顔で)水臭いこというな、だって友達だろ」←こういう人の事です。
「だよね?」「そうだよね」←この言葉の重みを知れって、、
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タグ:適応強迫