話の趣旨的には「先入観と現実の関係」ってことになるのかな、
■先入観に限らず、願望でも既成概念でもいんだけれど、
「もう現実超えちゃってるよね」
この時、いかにリアリズムで「いやいや、こうなんじゃないの?」鉄板の論証しても(裁判で言えば状況証拠って事に過ぎないからさ)願望や既成概念が覆る事は滅多に”無い”。
※事実精神分析の現場ではほんのちょっとした事項の事実関係説明を何度も何度も執拗に繰り返し説明しやっと一定程度理解されるというような状況は珍しくない。
リアリズムではなく”リアルそのもの”「物的証拠」ならどうなんだい?って事になれば、
そらー破壊力もあるだろうけれど、
言った言わないみたいな論議において「物的証拠」もねぇ(笑
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ただしこれに破壊力があるのは事実、
プライバシーに関わることなので、具体的には言えないけれど、
「自分にはとにかく大きく能力的に問題があってまったく何もできないため、酷い扱いを受ける」みたいな論議があった時に(その説明が2000文字以上で饒舌に語られているものだから)、
「文章化する能力は、そこいら辺の素人が逃げ出すほど凄いことなってますよ(あなたの依頼文がその証拠です)」みたいに投げかけた時、かなり「強迫心理」を揺すれたのは事実。
相談文そのものに『自意識』共犯の足跡を見つけて、
「それは本音じゃないでしょ、言わされているんでしょ」のような展開が綺麗に決まれば(それこそ依頼者の利益であり)、状況を変化させる可能性も大きいんだけれど、
容易なこっちゃない。
(まだまだ自分のネゴシエーターとしての能力に関しては物足りなさも感じる)
■言うまでも無く「強迫心理」とは願望であったり先入観であったり既成概念でもあるワケで、
この状況に対応する上で、
(そういう意味でヤクルト監督時代から野村ファンになったんだけど←ある意味ノムさんも一部大物選手から「野村野球はズルイとか汚い手を使うとか、スポーツじゃ無い」よく言われたもので、そら彼は道徳の彼岸に生きてるワケだからww)
↓
「手品みたいに便利な方法は”無い”」
どれほど緻密に説明しても、
説明の完成度が高ければ物事動いてくれるワケでも無く
(営業の説明が本当で、矛盾なくの購入利益を証明しているからと言って「売れるか売れなのかは別の話だ」←でしょww)
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