「犯罪は割に合う」と言ったのは、まだ中二病を引きずっていた学生時代の大藪春彦ですが、
(小説『野獣死すべし』より)
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非常にわかりやすいお題になるのであります。
小学生が好きな禅問答にこんなんあります
「どうして人を殺してはいけないの?」
答えは
「とっくに(そんな事抜かす)お前も死んでるからだ」ですが、
つまり経済学「割に合わない」って事です
(怨恨話はひとまず置いておいて)赤の他人殺してまで手に入れたい個人的利益があるってのなら、凄く頑張っている筈なんですよ〜、ええ「犯罪どころの話じゃないほど忙しい」とね。
●じゃあ何故、この豊かな現代社会でも犯罪はあるのか?
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てかね、この問いかけも統計的には間違いで、
犯罪最大の動機は「貧困」なので、先進国化していく中で日本の犯罪は急速に減少しており、絶滅しそうとまで言いませんがww、「反社の人が生活苦しいからカタギになりたい」本気で語る時代です。
(”組”もどんどん廃業してます)
凄くわかりやすいでしょ、
日常生活が豊かになったので「余計に犯罪が割に合わなくなっている」んです。
(個人的利益の経済学的に)
そこで、残ったのが「家族同士の殺し合い」で(殺傷事件の6割が血縁)、
ワザワザ何をやってんだかって思うでしょ。
●さあここでも重要なポイントが浮上します
「赤の他人だと思えていたら、血縁同士の殺人も減る」ってことっス
この現代社会でさ、
あれですよ(高学歴化で大人年齢も早くなってきてるから、有権者登録とかね)、
「18にもなれば、もう血縁とは縁切り、自立独立赤の他人です」
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こういう判断あるから、フィンランドあたりでは(家の所得と関係無く)子供個人に(家族ととっと縁が切れることを支援するため)幅広く奨学金が出ます(アパート借りる費用も支給あった筈)。
ちょっといい加減「お前ら幾つにもなってまだ親子の名乗り続けてんの、頭オカシイのか?」ってな時代になってきてるワケです。
(意識高い系『歩留まり』家族あたりが、子供のLGBTとかも案外すんなり受け入れちゃうとかになったのも「赤の他人」と思えているからです。)
■↑そこをとっかかりで一般の犯罪も考えてみよう
どっから考えても合理的な犯罪動機が思いつけないんだわ(笑
「趣味なのかな?」と本気で思うぐらい。
(※本当に中学時代、大藪の影響で中二病丸出しだった私は語るも切ない黒歴史ですが「近所の銀行の出金時間や、現金輸送車の編成や人数」とかチラチラ観察していたりしたものです。懐かしいですね〜)
そうなんですよ、
コンプレックスがベースなのか、ギャンブル依存症がそうさせるのか、
(薬物依存は犯罪と言えるのかな?ってとこあるのでそこは置いて置いて)
『自意識』共犯(=トンデモな勘違いをうっかり肯定してしまうこと)無しに、犯罪の動機なんていっくら考えても思いつけないんです。
「バカなの?氏ぬの?」←この言葉の始まりは、そんな感覚が(『共同幻想』崩壊で)”非適応系多数派”に急速に広まったからでしょう。
かと言って、六法片手に歩ってるワケないので、
(そこも『共同幻想』崩壊だから)
俺の法は俺が決める的な(byマイク・ハマー)、遵法精神だけどね。
「間違ったらごめんなさいね」的な、
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タグ:『自意識』共犯